昭和の人気兄弟力士だった井筒親方(元逆鉾)が亡くなる
2019年9月16日(月)、大相撲の井筒親方(元関脇 逆鉾)が亡くなったことが分かりました。原因はすい臓がんだったそうですが、まだ58歳と若く、最近まで元気にしていた現役親方の突然の訃報ということで角界に衝撃が広がっているようです。
井筒親方と言えば、横綱鶴竜(かくりゅう)を育てたことで有名ですが、僕たち昭和世代からするとやはり”寺尾の兄”の逆鉾(さかほこ)というイメージが強くなります。
昭和から平成に時代が変わる頃には若乃花と貴乃花による”若貴兄弟”が話題にはなりましたが、1980年代の相撲界で兄弟力士として思い浮かぶのはやっぱり”井筒三兄弟”でした。
井筒三兄弟というのは、元十両である長男鶴嶺山(かくれいざん)、元関脇で次男の逆鉾、元関脇でかなりの人気力士だった寺尾になりますが、”若貴兄弟”の父親と伯父さんである貴ノ花、若乃花兄弟以来の兄弟関取だったこともあり、話題になりました。
”若貴ブーム”による一大相撲人気到来までを、千代の富士(故人)などとともに支えた名力士である逆鉾(井筒親化)の訃報は残念ですが、今回はこれを機会に、現役もしくは過去にどんな兄弟力士(関取)がいるのか調べてみることにしました。
Contents
意外と多い兄弟力士
兄弟関取は19組
現役兄弟力士と検索するとよく分かりますが、現役力士だけでもかつて貴乃花部屋(現在は消滅)の双子力士として話題となった貴源治・貴公俊(現貴ノ富士)兄弟など、実は兄弟で角界入りしていたという力士は思いのほかたくさん存在します。
相撲人口がそれほど多くないことや、兄や親の影響で相撲を始めたという人達が多いのが原因なんでしょうが、なぜ兄弟力士として話題になることが少ないのかは、いかに関取(十両以上)になるのかが難しいということでしょう。
また怪我の多い世界でもあるので、同時に十両以上に在籍するのは非常に難しく、両者が幕内になるのは非常に稀、これが両方とも横綱というのは奇跡とも言えるわけですね。
そう考えると”若貴兄弟”が横綱として並び立っていた時代に相撲を見ていたのは、非常に幸運だったのかもしれません。
実際に両者が関取となったのは19組しかいないそうです。
兄弟で力士だった人達をピックアップしていくとトンデモナイことになりそうなので、今回は、両者が関取となった兄弟を中心として紹介してみたいと思います。
井筒三兄弟(鶴嶺山・逆鉾・寺尾)
まずは冒頭に取り上げた井筒三兄弟から取り上げてみたいと思いますが、1980年代から90年代にかけて活躍したのが井筒部屋からデビューしたこの三兄弟となります。
当時の親方(十三代井筒親方)である元関脇鶴ヶ嶺は彼らの父親にあたりますが、ハワイ勢の登場により力士の大型化が進んでいく中、三人とも120~130㎏という軽量力士でありながら巧みな取り口で活躍しました。
長男の鶴嶺山も十両の上位まで行き、幕内まであと一歩でしたが怪我の影響もあり残念ながら揃って幕内入りがなりませんでした。
引退後、長男鶴嶺山はちゃんこ屋「相撲茶屋 寺尾」のオーナー、次男逆鉾は十四代井筒親方、三男寺尾は錣山(しころやま)親方として相撲協会に残りました。
最高位
鶴嶺山:十両西二枚目 逆鉾:東関脇 寺尾:東関脇
若貴兄弟(三代目若乃花・貴乃花)
井筒兄弟に続いて相撲界に登場したのが若貴兄弟でした。
父親である元大関貴ノ花こと藤島親方(のちに二子山親方)が現役時代からかなりの人気力士だったこともあり、子供時代からテレビに登場することも多かったのですが、彼らはのちに横綱にはなるものの、揃って角界入り時点ですでに話題となりました。
それほど世間には知られたほどの存在でした。
彼らが凄ったのは若花田、貴花田としてデビューしたあと、世間の期待に応えるように大活躍していったことですね。
特に弟の貴乃花はほんの少しだけ足踏みはあったものの、当時の大横綱であった千代の富士を打ち破るなど一気に相撲界のアイドルになっていきました。
兄の若乃花も井筒兄弟と同じく軽量級力士でありながら、徐々に力をつけ、最終的に最高位である横綱にまで上り詰めた苦労の人でした。
貴乃花は立ち合いの変化をせず、真っ向から立ち会う王道の取り組み、若乃花は軽量でありながら技で大型力士をぶん投げるという派手な取り口で両者ともに印象的な力士でした。
引退後はご存知のように若乃花はタレントに、貴乃花は貴乃花部屋を開いたあと相撲協会との衝突により角界を後にしています。
一大相撲ブームの中心的存在だった二人とも現在の相撲協会にいないというのは協会にとっては不幸でしかないような気がしますね。
ちなみに兄である花田虎上(はなだまさる)は三代目若乃花にあたり、初代若乃花は伯父の花田勝治氏、二代若乃花は初代若乃花の弟子であり娘婿である下山勝則氏となります。
最高位
三代目若乃花:東横綱 貴乃花:東横綱
初代若乃花・貴ノ花兄弟
“若貴兄弟”のお父さんたちも兄弟力士となります。
しかしながら彼らの父である貴ノ花(貴乃花ではなく貴ノ花です:息子の貴乃花も貴花田の次は貴ノ花を一時期名乗りました)こと花田満氏とその兄である初代若乃花(花田勝治)は22歳も離れており、この両者は師弟関係にあたります。
若乃花は弟である貴ノ花を大関まで育て上げた他、二代目若乃花と隆の里をはじめ、大関若島津など19人もの関取を育てあげるなど名伯楽ぶりを発揮します。
そして弟である貴ノ花も自身の息子である若貴兄弟の他、大関貴ノ浪、関脇には貴闘力と安芸乃島他にも豊の海などの関取を育てあげ、一大勢力を築き上げました。
恐らくこれらは伝統的な猛稽古の賜物でしょう。
最高位
初代若乃花:東大横綱 初代貴ノ花:東大関
貴公俊・貴源治兄弟
平成30年に史上19組目の兄弟関取となったのが貴公俊(たかよしとし)・貴源治(たかげんじ)の上山(かみやま)兄弟です。しかも史上初の双子による兄弟関取でした。
そしてこれらを育てのが貴乃花ということでも話題となりましたが、例の騒動により貴乃花部屋が消滅してしまったため、現在は二人とも千賀ノ浦部屋所属となります。
両者とも190㎝170㎏という恵まれた身体が魅力ですね。
貴公俊は2019年1月より四股名を貴ノ富士(たかのふじ)に改めていますが、2018年の付き人への暴力事件を起こし問題になったのに引き続き、2019年にも同様の問題が発覚し現在はその進退が危ぶまれています。
最高位
貴ノ富士(貴公俊):東十両十二枚目 貴源治:西前頭十枚目
※両者とも現役力士となります。
英乃海・翔猿兄弟
貴ノ花部屋の上山(貴公俊と貴源治)兄弟ほど話題になりませんでしたが、史上18組目の兄弟関取となったのが木瀬部屋の英乃海(ひでのうみ)と追手風(はやてかぜ)部屋の翔猿(とびざる)です。
東京都江戸川区出身の岩崎兄弟で、翔猿は十両昇進前までは本名の岩崎で相撲を取っています。
兄弟力士と言えば大体同じ部屋に所属していることが多いのですが、兄弟で違う部屋というのは珍しい例となりますが、兄英乃海が187cm167㎏のアンコ型力士なのに対して、翔猿が172cm120㎏という小兵力士という点でも違いがあります。
弟の翔猿も平成18年から十両に定着しておりそろそろ幕内が見えてきましたが、兄の英乃海が幕内から陥落後は十両でくすぶっているので、親としてはそろそろ幕内で両者の姿を見たいところですね。
ちなみに所属部屋が同じ場合は八百長防止のため取り組みが組まれませんが、兄弟でも同様の理由から通常取り組みは組まれないようです。(正確には四親等以内では組まれないようです)
最高位
英乃海:西前頭十二枚目 翔猿:西十両六枚目
※両者とも現役力士となります。
千代丸・千代鳳兄弟
両者とも九重部屋所属の兄弟力士で史上17組目となります。
現在は兄である千代丸(ちよまる)のほうが番付上は上位にいますが、関取ならびに幕内昇進をしたのは弟である千代鳳(ちよおおとり)のほうが早く、一時は弟の付き人をしていた時期もあるようです。
10代で関取となり三役にまで登りつめた千代鳳ですが、怪我などの影響もあり現在は幕下まで陥落しています。
将来有望な力士だっただけに本来の力を取り戻してもらいたいところですね。
二人とも先代九重親方(元横綱千代の富士)時代に入門していますね。
最高位
千代丸:東前頭五枚目 千代鳳:西小結
※両者とも現役力士となります。
他には小城ノ花と小城錦、北桜と豊桜、安壮富士と安美錦などが兄弟ですが、小城ノ花や小城錦なんかはめっちゃど真ん中世代なので懐かしいところですね。
はたして”若貴フィーバー”以来の華のある兄弟力士は今後登場するのでしょうか。
最近は再び下火になりつつある相撲界ですが、巻き返しに期待したいところです。