ディープインパクト世代の馬たちは今何している?
今週、日本中どころか世界中を駆け巡った”ディープインパクト死す”のニュースですが、JRA(日本中央競馬会)でも今週行われた土日のメイン六レースのすべてを”ディープインパクト追悼競走”と名打つなど、その存在の大きさを知ることができました。
あと十年もすればディープインパクトの現役時代を知らないファンも出てくるんでしょうが、この偉大さは是非とも語り継いでいきたいところですね。
さて、ちょっと前にやってみた「サラブレッド版”あいつ今何してる?”」という企画記事ですが、前回はメジロマックイーン世代の1987年生まれをピックアップしてい見ましたが、今回はせっかくなのでディープインパクト世代の2002年生まれの馬たちの現状を調べてみたいと思います。
(画像引用:Wikipedia「ディープインパクト」より)
Contents
ディープインパクト
2019年7月30日 頚椎骨折による安楽死 享年17歳
日本競馬の結晶とも言える競走成績を残した名馬ですが、種牡馬としても父サンデーサイレンス並みの結果を残したことが同馬の評価を不動のもにしたと言えます。
クラシック三冠の他に古馬GⅠを四勝しましたが、最近の一流馬があまり出走してこなくなった天皇賞・春をしっかり勝っているところがまた素晴らしいですね。
産駒から四十頭以上のGⅠホースが出ており、個人的には伝説をリアルタイムで体感できたことは自慢ですね。
引退後は社台スタリオンステーションで種付けを行っていましたが、2019年の種付け中止の原因となった首痛の手術(成功)の直後に亡くなっています。
シーザリオ
ノーザンファームで繁殖牝馬として活躍中
現役時代と同様繁殖牝馬としても抜群の成績を残す
2002年のサラブレッドと言えばディープインパクトの世代というのは間違いないのですが、牝馬にはあのシーザリオがいます。
ディープインパクトと同じノーザンファーム出身の同馬ですが、桜花賞二着だった以外は日米両オークスを制し、国内産馬・国内調教馬としてアメリカのGⅠレースを勝った初の馬になりました。
故障が原因で2006年に早々と引退したあとは、エピファネイア、リオンディーズ、サートゥルナーリアがGⅠを勝利するなど繁殖牝馬としても超一流の成績を残しているのはディープインパクトと同じですね。
現在も繁殖牝馬として現役ですが、これからシーザリオ系として牝系でも血が拡がっていくことは十分予想できます。
ラインクラフト
2006年没(心不全) 享年4歳
調教中に亡くなる
シーザリオも強い馬でしたが、桜花賞でこの馬を破ったのが唯一ラインクラフトです。
桜花賞の次レースとなったNHKマイルカップも制するなど非常に強い馬でした。
そのマイル路線では古馬相手でも非常に安定した成績をのこしましたが、四歳の時にスプリンターズステークス(GⅠ)を目指して調教中に急性心不全が原因で亡くなっています。
なおこのラインクラフトが亡くなったのは2006年8月19日になりますが、四年前の同日には母の父サンデーサイレンスが亡くなった命日でもありました。
また生まれた2002年は7月に同馬の父であり、後に産駒が大活躍するエンドスウィープが11歳の若さで亡くなるなど数奇な星の下に産まれた牝馬でした。
ちなみにこの馬もノーザンファーム出身でした。
エアメサイア
2014年没(放牧中の事故) 享年12歳
善戦血統は健在
2002年生まれはの牝馬でもう一頭忘れてはいけないのはエアメサイアでしょう。
オークスではシーザリオの二着だったほか、秋華賞では桜花賞馬ラインクラフトを二着に下し、見事GⅠ勝利を果しました。
爪の状態が悪く五歳の春に引退し、生まれ故郷の社台ファームで繁殖入りしましたが、繁殖入り後はエアスピネル、エアウィンザーという一流馬を送り出します。
しなかしながら五番仔であるエアウィンザーを産んだ2014年に放牧中の事故が原因で残念ながら亡くなっています。
エアメサイアの母エアデジャブ―は僕も現役時代をよく知っている牝馬でしたが、エアメサイアが秋華賞を勝ってはいるものの、三代続いての善戦ぶりはもはや血としか言えず、長年の競馬ファンにとっては”薔薇一族”とともに有名な血ですね。
最初の子供であるエアワンピースとエアマスカットは牝馬で社台ファームで繋養されているようなので善戦血統はこの馬の子供たちに繋いでもらいましょう。
近親のエアアンセムも中々の善戦ぶりで、やっぱり気になる牝系です。(笑)
ショウナンパントル
2011年没(死因不明) 享年9歳
レベルの高かった2002年生まれの牝馬の二歳チャンピオンがショウナンパントルです。
生産は白老ファーム(社台コーポレーション白老ファーム)となります。
結局三歳以降は結果を残すことができず早熟な馬でしたが、2008年に六歳で繁殖入りしていますが、最初の行き先は生まれ故郷の白老ファームではなくスガタ牧場というところだったようです。
結局同年に白老ファームに移動したようですが、最初の産駒は死産。二番目の子供は流産しており、結局競走馬になれたのは三番目の子供であるショウナンアチーヴだけだったようです。
死亡の原因はあまり知られていないのですが、ショウナンアチーヴ(ニュージーランドトロフィーを勝利)を産んだ二か月後の2011年3月に亡くなったようなので、産後の経過がよくなかったのでしょうか。
唯一の産駒であるショウナンアチーヴは2018年に現役引退をしたあと、JRAの馬事公苑で乗馬として余生を送っているそうです。
エイシンデピュティ
種牡馬引退後、栄進牧場で余生を送る
2002年生まれの馬たちはディープインパクトを除くと牝馬とダート馬達は活躍しているものの、芝で活躍した馬がそれほどいません。
その中でも数少ない一頭が宝塚記念を勝ったエイシンデピュティとなります。
ディープインパクトが引退した2006年末の時点ではまだ条件馬だったものの、翌年の五歳になってから活躍し始め、六歳になり見事GⅠである宝塚記念を勝利しました。
結局長期休養もあり2009年で現役を引退し、2010年からレックススタッドで種牡馬入りをしていますが、繁殖牝馬を集めることができずに2018年に生まれ故郷の栄進牧場に移動した後、2019年で種牡馬生活を引退したことが発表されています。
結局中央では三十頭程度しか走っておらず、勝ち馬は三頭のみにとどまりました。
ヴァーミリアン
種牡馬引退後、ノーザンホースパークで乗馬
2002年生まれの牡馬はディープインパクトという化物がいる反面、芝ではそれにつづく馬が若干パッとしません。
ただこれがダートになると錚々たる面々が並びます。その馬の一頭目がノーザンファーム出身の良血馬ヴァーミリアンです。
スカーレット一族を母系に持ち、父は早世したエルコンドルパサーですが、最初は芝レースを中心に使われていたものの、ダートに舞台を変えると馬が一変しました。
中央ではジャパンカップダートとフェブラリーステークスなどGⅠを二勝、地方では13戦して10勝し、全盛期の五歳時にはドバイワールドカップで四着に入るなど、良血の名に恥じない成績を残しました。
2010年年齢からくる衰えで八歳をもって引退したあとは故郷の社台スタリオンステーションで種牡馬入りしています。
2014年からはブリーダーズSSに場所を変えて種付けを行い、2017年にはイーストスタッドで種付けをしたようですが、同年で種牡馬を引退、現在は故郷のノーザンホースパークで乗馬として余生を送っているとのことです。
貴重なエルコンドルパサーの血を引く馬でしたが、種牡馬としてはノットフォーマルがフェアリーS(GⅢ)を勝ったのみにとどまり、父系は断絶が濃厚です。
カネヒキリ
2016年没(種付け中の事故) 享年14歳
ヴァーミリアンとならんでダートの活躍馬としての有名馬なのがカネヒキリです。
ノーザンファーム生産、馬主が金子真人さん、主戦が武豊騎手だったので”砂のディープインパクト”とマスコミには呼ばれていましたがダートでは当時ナンバーワンの馬だったという印象です。
早い段階からダートで結果を残したこともあり、三歳時から活躍しましたが四歳で挑んだドバイワールドカップでは四着に入り、結局中央GⅠで四勝、地方でも九戦五勝という成績を残しました。
晩年は故障で長期休養したこともあり、ヴァーミリアンと同じ年の2011年から優駿スタリオンステーション種牡馬生活を始めました。
シンジケートも組まれるほどの人気種牡馬となり2012年には175頭もの種付けを行ったようですが2016年種付け中の事故により死亡したとのことです。
種牡馬ランキングでは二十位台に入っており、結果を残していただけに働き盛りの時に亡くなったのが悔やまれますね。
サンライズバッカス
ヤナガワ牧場富浜分場で余生を送る
現役時代はカネヒキリなどの陰に隠れ若干存在感の薄かったサンライズバッカスですが、五歳時にはカネヒキリやヴァーミリアンがいなかったフェブラリーステークスを制しています。
勝ちきれないレースが多く地方と中央を合わせて38戦して6勝しかあげていませんが、のちにキタサンブラックを送り出すヤナガワ牧場の生産馬(牧場初のGⅠ馬)であり、ノーザンファームの活躍馬が多かった2002年生まれの中では頑張ったと言えますね。
ヴァーミリアン、カネヒキリと同じ2010年に引退はしていますが、すぐには種牡馬になれず当初は故郷のヤナガワ牧場に功労馬として帰ったようですが、2012年から二年間レックススタッドで種牡馬として供用されたようです。
2013年の途中から再びヤナガワ牧場に帰っており、2014年種付けした馬から二頭が競走馬デビューしているもののそれ以降は産駒は誕生していないので種牡馬生活は引退しているようです。
シックスセンス
2010年没(骨折により安楽死) 享年8歳
ここからはディープインパクトに敗れた馬ということで、GⅠ未勝利馬となります。
まずシックスセンスですが皐月賞二着、日本ダービー三着という実績だけで見れば素晴らしい馬なんですが、個人的には”そう言えばこんな馬いたな”という印象です。
やっぱり競馬の世界は勝手なんぼですね、僕はガッツリ競馬を見ていた時期のはずなのに、二着馬ですら時間が経つとかなり印象が薄くなっています。
2006年に京都記念を勝ったあと屈腱炎を発症し早々と引退し、ディープインパクトと同じ年に社台SSで種牡馬入りしていますが同じサンデーサイレンス産駒ということもあり数、質ともに繁殖牝馬には恵まれなかったようです。
2007年にはレックススタッド、2009年からは何とアイルランドのブリッジハウススタッドで供用されたようですが翌年早々、骨折したことにより安楽死の処置がとられたとのことです。
叔母には毎年ポテンシャル抜群と言われる産駒を送りだしているシルヴァースカヤなので、もしかしたらちゃんとした繁殖牝馬に種付けしたら成功したかもしれない馬でしたね。
インティライミ
ノーザンホースパークでリードホース?
日本ダービー二着ですが、この馬も名前しか覚えていないですね。(笑)
やっぱりそれぐらいこの世代はディープインパクトという光が強すぎるのでしょう。ディープインパクトとその他という感じがします。
この年は今回は取り上げませんが、トウカイトリックやマイネルレコルトなんかのほうが何となく覚えていますね。
2010年の引退後は故郷のノーザンホースパークで乗馬になったようです。
そう言えば2002年生まれの馬は2010年によく引退していますね。
2011年には慶応義塾大学の馬術部に在籍し、2015年には再びノーザンホースパークに戻ったとのことです。
現在はリードホース(一歳馬の先導などを行う馬らしいです)として活躍しているようです。
アドマイヤジャパン
ヴェルサイユファームで余生を送る
菊花賞二着、日本ダービーは十着ですが、シックスセンスやインティライミより今も名前を憶えているのはこのアドマイヤジャパンのほうですね。
春まで(笑)は少なくともディープインパクトのライバル候補でした。
真っ向から挑んで敗れた偉大なる挑戦者という感じですが、当時はまだ勢いのあったビワハヤヒデなどの早田牧場新冠支場の生産馬であり、お母さんはあのビワハイジということで期待されましたが、結局四歳の春に一戦走ったのみで屈腱炎を発症し引退。
2007年からブリーダーズSSで供用が開始され2010年に産駒がデビューし比較的多くの産駒が走りましたが、結局重賞は未勝利でした。
2013年から優駿SSで供用されていたようですが、2019年に種牡馬を引退してヴェルサイユファームで余生を送ることになったとのことです。(ヴェルサイユファームと言えばローズキングダムやタイキシャトルも余生を送っている最近功労馬向けにサービスを開始した牧場ですね。)
妹にブエナビスタや弟にアドマイヤオーラがいる超良血馬だっただけに社台SSあたりで種牡馬生活を送ればもうちょっと成績を残したような気もしなくはないですね。