ヒシアマゾンに続いて94年のオークス馬チョウカイキャロルが亡くなる
2019年9月12日(木)、JRA(日本中央競馬会)から1994年のオークス馬であるチョウカイキャロル(父ブライアンズタイム)が28歳で亡くなったことが発表されました。
チョウカイキャロルと言えばあの三冠馬ナリタブライアンと同じ1991年生まれであり、同じブライアンズタイムの初年度産駒ということで、僕もよく覚えている一頭です。
またチョウカイキャロルと言えば、当時牝馬の中では最強ではないかと言われていた同い年のヒシアマゾンをエリザベス女王杯で唯一追い詰めた(ハナ差の二着)であり、現役生活はそれほど長くなかったものの、非常に存在感のある一頭でした。
しかしながらそのヒシアマゾンは今年の4月に余生を送っていたアメリカで亡くなっており、牡馬ではナリタブライアンのライバルと目されたこともあるナムラコクオーも8月に亡くなっています。
1991年生まれということは、すでに28歳なのでかなり高齢の部類に入る年齢でしたが、現役時代をよく知る名馬たちが立て続けに亡くなるのは寂しいところです。
そこで今回は僕が趣味で立ち上げたシリーズ「サラブレッド版”あいつ今何してる?”」第三弾ということで、1991年生まれの馬たちについて調べてみたいと思います。
(画像引用:Wikipedia「ヒシアマゾン」より)
Contents
ナリタブライアン
1998年没(胃破裂) 享年8歳
当時の最強馬も種牡馬としてわずか150頭しか残せず
1991年生まれはヒシアマゾンも強烈な存在感を放ちましたが、何と言ってもこの世代、というかこの年代の代表格はナリタブライアンです。
当初はGⅠ三勝”新・芦毛の怪物”として知られたビワハヤヒデの弟ということで注目されていましたが、時には不安定さを見せながらも三冠を達成し、記憶にも記録にも残る一頭でした。
引退後はもちろん種牡馬入りしましたが、当時は新進の早田牧場がビワハヤヒデ、ナリタブライアン兄弟を中心として大活躍をしていた時代でもあったので、社台グループに対抗する形で早田牧場傘下のCBスタッドで種牡馬入りとなりました。
非常に人気のある馬でしたし、兄もかなりの名馬、そして母の父は伝説的な名馬ノーザンダンサーということでかなりの良血でもあったので、非常に質の高い牝馬を集めたそうです。
ところが、不幸にもナリタブライアンは種牡馬入りからわずか二年で亡くなってしまいます。
当時すでに社台グループは一大勢力でしたが、早田牧場やその地域の牧場はナリタブライアンを中心にして一致団結して対抗しようとした矢先の出来事だったので、タラレバはよくありませんが、ナリタブライアンが生きていれば今の社台グループ(特にノーザンファーム)の一強体制はもう少し後になっていた可能性はあります。
また、腸捻転と胃破裂を併用しての死亡ということでしたが、死亡原因としてはよく聞く原因ではあるものの、まだ人気が衰える前のニュースだっただけに非常に世間を驚かせました。
わずか二年間の種付けでしたが、約150頭が生まれたものの、残念ながら残された子供たちから重賞を勝つ馬は現れませんでした。
母の父としてはオールアズワン(札幌二歳S)とマイネルハニー(チャレンジカップ)を出してはいるものの、できればどこかでこの血を残して欲しいなという気はしますね。
安定して活躍馬を出す血統ではありませんでしたが、大物を出す一発血統だっただけに早くに亡くなったのは非常に残念でした。
エアダブリン
2016年没(死因不明) 享年25歳
GⅠ未勝利もこの世代の二番手として存在感を放つ
1991年生まれの牡馬と言えば、クラシックをナリタブライアンが掻っ攫っていってしまったので、ほとんどの人が”ナリタブライアンとそれ以外”という印象でしょう。
僕も”さて何がいたっけ?”思い出そうとしたものの、脳の記憶回路をつなぎなおす必要がありました(笑)。
記憶と記録を手繰り寄せて当時の状況を思い出してみたんですが、1991年生まれで四歳時(現在で言う三歳時:現在とは年齢の表記方法が異なります)にナリタブライアンに次ぐ有力馬と言えばエアダブリンでした。
このエアダブリンの妹や弟にはダンスパートナーやダンスインザムード、さらにダンスインザダークなどがおり物凄い活躍馬ばかりなのですが、彼らも最初はあくまでエアダブリンの妹や弟という立ち位置だったという記憶があります。
記録上は日本ダービーの二着はあるものの、記録上はGⅢを三勝しただけなので、若いファンにはなじみがないかもしれませんが、”新種牡馬ブライアンズタイムに母の父ノーザンダンサー”の良血馬ナリタブライアンと”昨年産駒がデビューし席巻したトニービンの子供で母の父はニジンスキー”という当時の日本競馬では最高レベルという良血馬同士で盛り上がったという記憶があります。
エアダブリンは結局GⅠを勝ちきるだけの決め手がなかったのでGⅠこそ未勝利でしたが、不気味な一頭でしたね。
古馬になり屈腱炎を患って長期休養を挟んだため、引退は一つ下のダンスパートナーと同じ1997年になりましたが、良血を買われて種牡馬入りしています。
種付け料が50万円ということもあり、種牡馬デビューしてから四年連続で100頭以上の繁殖牝馬を集めたようですが、産駒成績が振るわなかったため2003年に韓国に輸出されています。
Wikipediaによると韓国で十年間種牡馬生活を送った後に2013年に種牡馬を引退、2016年に余生を送っていた済州島のヌルブン牧場で亡くなったそうです。
サクラローレル
新和牧場で余生を送る(存命) → 2020年没(老衰) 享年28歳
サクラローレルですよぉ#新和牧場#サクラローレル pic.twitter.com/2h9L9x1SeN
— まなぶ (@manabuseiunn) August 12, 2019
1991年生まれはナリタブライアン一色だったために、その他の馬の印象がかなり弱かったのですが、古馬になって存在感を放ったのがこのサクラローレルです。
古馬になる前からトライアルにも出走していたので一応知られた存在ではあったのですが、故障でナリタブライアンが輝きを失い始めた矢先に、古馬になって本格化。
一つ年下のマーベラスサンデーやマヤノトップガンなどレベルの高い世代に立ちふさがる存在になり、この二頭と古馬三強を形成しました。
サクラローレルと言えば、僕のイメージではとにかく勝負強い馬というイメージでしたね。
1997年に引退し、1998年から静内スタリオンステーションで種牡馬入りしましたが、サクラセンチュリーなど地味ながら活躍馬を時折だしました。
その後アロースタッドを経て現在の新和牧場で種牡馬生活を送ったようですが、2012年に種牡馬を引退。
現在は悠々自適な毎日を送っているようです。
※2020年1月24日老衰のため亡くなったそうです。
タイキブリザード
2014年没(胃破裂) 享年23歳
引退後はブリーダーズスタリオンステーションで種牡馬入り。
2005年に種牡馬を引退した後は、日高ケンタッキーファームに移ったようです。
2009年から鹿児島で余生を送り、2014年死亡。
1997年にマーベラスサンデーが勝った宝塚記念では、現地でタイキブリザードの単勝馬券一万円を握りしめて応援した僕にとっては思い出の一頭です。
ナムラコクオー
2019年没(心筋梗塞) 享年28歳
ナムラコクオー、永眠しました。今日午後4時30分、心筋梗塞でした。
夕方少しボーっとしていたので熱でも計ろうかと言っている矢先に目の前で倒れ、少しもがいてそのまま息を引き取りました。
皆のいる時で良かった。そして苦しむ時間が短かかったことが救いです。写真は一昨日のシャワー時。 pic.twitter.com/Xsi8aNPnXP— 土佐黒潮牧場 (@kurokun917) August 3, 2019
春時点では僕もTwitterでその元気な姿を見て、”お~、あのナムラコクオーがまだ生きているのかぁ”と感心したもんですが、残念ながら今年の8月に亡くなってしまいました。
元々脚元の弱い馬で皐月賞前まではナリタブライアンの対抗馬と目されていたほどの馬だったんですが、地方(高知競馬)に流れたあとはだましだまし使われながら2003年まで現役を続けていました。
最後は高知の土佐黒潮牧場で大事にされたようです。
お父さんのキンググローリアスも30歳まで生きていたので元々長生きの系統なんでしょうか。
オフサイドトラップ
2011年没(腸生涯) 享年20歳
1998年の天皇賞(秋)を8歳(現在の馬齢表記では7歳)にして制したトニービン産駒です。
オフサイドトラップと言えば三度の屈腱炎から立ち直ってGⅠを制した不屈の競走馬と言われています。
種牡馬入りしたあとは残念ながら人気がなかったようですね。
最後は明和牧場で余生を送っていたものの2011年に亡くなっています。
シンコウキング
2012年没(蹄葉炎) 享年21歳
ヒシアマゾン
2019年没(老衰) 享年28歳
1991年生まれは牡馬にナリタブライアンという怪物がいましたが、牝馬にもこのヒシアマゾンという怪物がいました。
現役時代はとにかく強かったですし、牝馬相手ならまず負ける気がしなかったほどです(実際にヒシアマゾンがレースで凡走した数レース以外はほとんど牝馬の先着を許していない)。
スピードやスタミナなど、どこがスゴイというよりも、”とにかく強い”そういう馬でしたね。
この馬の父親であるシアトリカルという馬はヒシアマゾンの同い年のタイキブリザードの半兄でもありましたし、どれだけ凄い種牡馬なんだと調べた記憶があります。
引退後は故郷のアメリカの牧場に戻って繁殖生活を送り、子どもも多くが日本で走りましたが成績は振るわず、最近は残念ながらその血をあまり見る機会がありませんね。
今年の4月にアメリカで亡くなっています。
チョウカイキャロル
2019年没(肺炎) 享年28歳
冒頭にも書いたように先日の9月12日に亡くなったのがチョウカイキャロルです。
この世代のオークス馬ですが、当時はまだ海外出身馬がクラシックレースには出走できなかったために、どうしてもヒシアマゾンのいないオークスを勝った馬という評価で、少しかわいそうでしたね。
ただ直接対決となった秋のエリザベス女王杯(当時はまだ秋華賞がなかった)では一倍台の圧倒的人気のヒシアマゾンをハナ差まで追い詰め、さすがオークス馬ということを見せつけましたね。
五歳(現在の馬齢表記だと四歳)までは絶好調だったヒシアマゾンですが、調子のいい時にここまで牝馬に追い詰められたことは結局一頭もおらず、一番彼女に迫ったのがこの馬でしたね。
引退後は故郷の谷川牧場で繁殖入りしていますが、2006年以降はあまり子出しが良くなく2012年に繁殖を引退しています。
オープンまで行った子供もいるようですが、孫世代でまだ活躍が見られないのは残念です。
オグリローマン
2015年没(心不全) 享年25歳
この年の桜花賞馬ですが、僕もこの記事を書くまですっかり忘れていました(笑)。
そのぐらいこの年はナリタブライアンとヒシアマゾンの年でした。
オグリキャップの妹として地方からやってきましたが、父はダンシングキャップからダート種牡馬のブレイヴェストローマンに変わり、当初はさすがに妹はうまくいかないだろうという世間の目はあった(レースで人気はしていたものの完全にオグリキャップ人気でした)ものの、あっさりとその偏見を打ち破ったのが思い出されますね。
引退後は故郷の稲葉牧場で繁殖入りしたあと、2011年まで繁殖生活を送り、2015年に心不全で亡くなっています。
子供たちはオグリローマンやオグリキャップと同じくオグリの冠名で地方を中心に走ったようですが、母や伯父ほどの成績を残すことはできませんでした。
サクラエイコウオー
新和牧場で余生を送る(存命)
2020年の2月7日に追記です。
別の年の競走馬を調べていたところ、なんとこの世代ではどうやらまだサクラエイコウオーが生きているようです。
サクラエイコウオーと言えば新馬戦で曲がり切れなかったりと色々と逸話の多かった馬ですね。
気性が激しかったもののテンへのスピードはピカ一でとにかく速い馬だったというイメージがあります。
サクラローレルと同じ牧場で功労馬として繋養されてたみたいですね。