代表格はミホノブルボンも牝馬の活躍が光る世代
たまに個人的関心のみでやっているお馬さん企画「サラブレッド版”あいつ今何してる?”」ですが、今回は1989年生まれの世代を特集します。
1989年生まれの馬と言えば何と言ってもミホノブルボン(父マグニチュード)が有名です。
ただ、ミホノブルボンが活躍をしていたのは、僕が馬券を買うようになった頃(1992年の秋)よりほんの少しだけ前なので、実はリアルタイムでは見ていなかったりするんですが、それ以降のレースはガッツリはまり始めた時期なので、古馬戦線で中心となって活躍していたのはこの世代のライバル馬たちでした。
そのため非常に記憶に残っている馬が沢山おり、馴染みの深い世代となります。
この記事を書くために当時のレース結果なんかを眺めなおしたりしていると、”あぁ、あんな馬もいたなぁ”とノスタルジックな気分になりました。
つい先日(2020年2月5日)は、この年生まれのニシノフラワー(父Majestic Light)が亡くなったというニュースがありましたが、僕としても非常によく覚えている馬なので寂しい気持ちにさせられましたが、今になって考えると非常に牝馬には優秀な馬たちが多かったような気がします。
すでに彼らが産まれてから31年が経っており、中々生きている馬もいないと思うのですが、この世代の馬たちがどこでどんな最後を迎え、また彼らの子孫がどんな活躍をしているかも含めて調べてみたいと思います。
この世代にはライスシャワーやサンエイサンキューというレース中の事故で亡くなってしまった強い馬がいたことも冒頭の締めとして、付け加えておきます。
(画像引用:Wikipedia「ミホノブルボン」より)
Contents
ミホノブルボン
2017年没(老衰) 享年28歳
冒頭にも書いた通り1989年生まれの世代と言えばミホノブルボンです。
残念ながら僕が競馬をはじめた頃は故障が判明し、休養に入ったばかりの頃で残念ながら生でその走りをみることができませんでした。
当時坂路調教が注目されはじめた頃で、ミホノブルボン=戸山きゅう舎=坂路調教というのがトレンドでしたね。
その後坂路調教は当たり前のものになりますがそういった意味ではエポックメイキング的な名馬の一頭です。
その後短中距離血統の馬が坂路などによるハードトレーニングにより長距離をこなすようなった馬ではキタサンブラックが思い出されますが、間違いなくミホノブルボンがあったからこそキタサンブラックにつながったような気がします。
引退後は日高軽種牡馬農業協同組合、生まれ故郷のファニーフレンズ牧場で種牡馬生活を送った後、2012年に種牡馬を引退。
スマイルファームで余生を送っていましたが2017年の2月に老衰で亡くなっています。
父マグニチュードは29歳まで生きており、同じミルリーフ(Mill Reef)産駒の名種牡馬ミルジョージも32歳まで生きているのでこの父系は元々長生きの系統なのかもしれませんね。(ただ、ミルリーフは18歳で亡くなっています)
サクラバクシンオー
2011年没(心不全) 享年22歳
このサイトでも取り上げたこともあるサクラバクシンオーですが、スプリント戦では圧倒的な走りと安定感で、いまだ最強スプリンターとして名前を挙げる人もいますね。(僕もその一人です)
引退後は社台SSで種牡馬入りしていますが、元々社台グループ(社台ファーム早来)の生産馬だったとは言え、内国産馬が社台で社台SSで種牡馬入りするということはかなり珍しく、いかに評価されていたか分かります。
また、その期待に応えて四頭のGⅠホースを出しましたが、産駒の通算勝利数も1300勝以上(史上5位)を数え、大成功しました。
直系は難しそうですが、母の父としてキタサンブラックを出し、その血は確実に残りそうでね。
種牡馬として現役だった2011年に心不全のため亡くなっています。
レガシーワールド
へいはた牧場で余生を送る(存命)
おお、なんと存命の馬がいましたレガシーワールドがまだ元気のようです!
ただ、存在をこの記事を書くまで忘れていました。スマン、レガシーワールド(笑)
四歳(現在の馬齢表記では三歳)時は実力が認めながらもセン馬だったため菊花賞への出走がかないませんでしたが、ミホノブルボンとともに戸山きゅう舎の代表格として注目された存在でした。
古馬になってジャパンカップを制しましたが、当時は日本馬が中々勝てなかった時期なので個人的にはビックリした思い出があります。(弱い馬ではなかったんですが、GⅠを勝つとは思わなかった)
現在は生まれ故郷のへいはた牧場で功労馬として余生を送っているとのことです。
トロットサンダー
2004年没(骨折が原因の安楽死) 享年15歳
実はトロットサンダーの存在も忘れてました。GⅠホースなのに・・・。
ただ、当時競馬をしていた人なら理解してもらえると思いますが、初のGⅠタイトルであるマイルチャンピオンシップを勝ったのが七歳だったので、ミホノブルボンやニシノフラワーと同期というイメージはまったくなかったですね。
八歳でも安田記念を勝ち、マイルでは結構強い馬だったんですが、父がダイナコスモス(めずらしいダンテ系種牡馬)で地方出身ということもあって種牡馬としては人気が出なかったようです。産駒も地方で少し活躍したのみのようです。
馬主の名義貸し事件が有名な同馬ですが、引退から最後まで不明瞭な点が多い馬で、晩年もやせ細った状態であったなどという情報があるなど、あまりいい状態ではなかったようです。
調べるまで知らなかったのですが、これほどの馬なので残念でなりません。
ヒシマサル
2018年没(老衰) 享年29歳
種牡馬引退後はうらかわ優駿ビレッジAERUで余生を送っていたとのことです。
この牧場ではあのウイニングチケットもいるそうです。
マチカネタンホイザ
2013年没(疝痛) 享年24歳
ノーザンテースト晩年の良血馬として名をはせた名わき役です。
この時代はホワイトストーンやナイスネイチャ、マチカネタンホイザ、ステージチャンプなど勝ちきれないけど、いつもレースに出てきて人気の馬が多かったですね。
引退後は種牡馬になれたようですが結果は残せず、最後は山梨県の小須田牧場で余生を送っていたそうです。(この牧場では同馬主で活躍した1994年生まれのマチカネフクタキルも繋養されており、現在も存命とのことです)
セキテイリュウオー
2011年没(病気のため) 享年22歳
名競走馬であり名種牡馬だったトウショウボーイ晩年の活躍馬です。
覚えている馬を抜き出してこの記事にしているんですが、よく調べてみるとGⅠ勝っていませんでした(笑)。
戦績を見直すと天皇賞・秋の二着が二回あるのでこのイメージが残ってたいたせいかもしれませんが、一応種牡馬にはなれたようですね(ただ血統登録されたのはたった65頭みたいです)。
晩年は荒木育成牧場というところで功労馬として余生を送っていたそうですが2011年病気のために亡くなっています。
アイルトンシンボリ
2004年を最後に行方不明
日本競馬の中でも唯一”皇帝”と呼ばれたシンボリルドルフの二世代目の産駒となります。
初年度産駒からトウカイテイオーが出て、次に頭角を現してきたのがアイルトンシンボリだったので注目されたのですが、結局は宝塚記念の二着(このときの一着はビワハヤヒデ)が最高で、GⅠは勝てませんでした。
故郷のシンボリ牧場で種牡馬入り(とは言っても十頭程度しか産駒がいない)したようですが、2004年の種牡馬引退後はなんと行方不明とのことです。
これだけの実績馬ですら行方が分からないというのは残念でなりません。
キョウエイボーガン
引退馬協会で余生を送る(存命)
つい先日、立てなったという情報もあり心配されましたが、再び元気を取り戻したようです(2020年2月10日現在)。
乗馬クラブアリサ(群馬県)というところ大事にされているそうです。
キョウエイボーガンの近況が届きました。
7日の朝にまた立ち上がることができなくなりましたが、みなさまの励ましが届いているように今は元気にしています。これからも応援よろしくお願いいたします!https://t.co/tdmHBvcJmP#キョウエイボーガン #フォスターホース #引退馬支援 #馬の里親— 引退馬協会 (@rhainfo) February 10, 2020
ニシノフラワー
2020年没(老衰) 享年31歳
この世代の三歳(現在の二歳)牝馬チャンピオンであり、桜花賞馬です。
当時牝馬が牡馬に立ち向かえなかった時代にGⅠ(スプリンターズS)、しかも四歳で勝利するなど当時は事件を起こした馬でした。
間違いなくこの時代を代表する一頭です。
引退後は生まれ故郷の西山牧場で繁殖牝馬として11頭の子供送り出した後は、功労馬として余生を送っていたものの先日惜しまれつつ亡くなってしまいました。
子供たちは大活躍とは行きませんでしたが、8番仔ニシノミライの孫であり、ひ孫にあたるニシノデイジー(父ハービンジャー)が2018年に重賞を二勝するなどして、翌年のクラシック戦線では有力馬の一頭として活躍したのは記憶に新しいところですね。
こういうのがあるからやっぱり競馬はやめられませんね。
シンコウラブリイ
2011年没(蹄葉炎) 享年22歳
名門藤沢和雄きゅう舎の初期の活躍馬ですね。
確か初のGⅠタイトルをとったのがシンコウラブリイでした。
当時マル外(海外生産馬)がまだまだ強かった時代の馬で父カーリアンも含めて、海外の馬はやっぱりスゲーなと思わせる馬でした。
十二頭の子供を産みましたが、子どもたちは自身ほどの圧倒的な成績を残せず(二頭の重賞勝ち馬は出した)七番仔ピサノグラフのからムイトオブリガード(アルゼンチン共和国杯)が出てきたものの、シンコウラブリイの現役時代を知る身としてはこんなもんでは満足できません(笑)。
アドラーブル
2005年没 享年16歳
この世代のオークス馬であり、女王格であった全盛期のニシノフラワーを二度ほど破っています。
社台グループ(社台ファーム千歳)の生産馬でしたが、門別の白井ファームで繁殖入りしており、菊花賞3着や京都記念を勝ったエモシオン(父ト二ービン)を出しています。
2005年に亡くなっていますが、詳細はよく分かりませんでした。
タケノベルベット
2014年没(放牧中の事故) 享年25歳
この世代の時に秋華賞は存在しなかったんですが、牝馬の三冠目を制したのが良血(半姉は桜花賞馬のリーゼングロス)で元々大物と言われてきたタケノベルベットでした。
後述するエルカーサリバーと何回か一緒に走ったのでよく覚えている馬です。
体質的にちょっとひ弱というイメージが現役時代にはあったんですが、今戦績を見直していると中・長距離で牡馬相手にも互角に戦っており強い馬でしたね。
引退後は故郷の武岡牧場で繁殖入りし、十頭の子供のうち九頭が牝馬だったようですが、自身をこえる産駒は孫世代などからも出ていないようです。
2011年の繁殖引退後はイーハトーヴ・オーシャンファーム(北海道)で余生を送っていたようですが2014年放牧中の事故で亡くなったようです。
エルカーサリバー
2008年を最後に行方不明
最後はエルカーサリバーです。
GⅠは未勝利でしたが、僕が競馬をはじめたころに活躍して馬券を何回か取らせてもらった思い出深い一頭です。
日経新春杯ではナイスネイチャやタケノベルベット、シスタートウショウ、オースミロッチという超豪華メンバーを相手に勝利するなど、隠れた実力馬の一頭でしたね。
この馬を本命にして馬券を本命筋でとったのは今でも会心の予想の一つです。
引退後は繁殖入りしていますが、なんと2008年のに繁殖引退後は大前典男牧場(青森)を最後に行方不明ということです。
これだけの実績馬の行方が分からないというのは非常に悲しいですが、最近は引退馬の保護活動が活発なのは救いです。