サラブレッド版”あいつ今何してる?” 1987年生まれ編

メジロマックイーン

過去に活躍した馬たちは今どうしてる?

競馬を見始めてからすでに約25年

いきなり自分語りになってしまいますが、僕が競馬を見始めた(もちろん同時に馬券も買いはじめた)のは確か三冠がかかったミホノブルボンが菊花賞でライスシャワーに敗れた直後だったのではないかと記憶しています。

知的好奇心だけで生きている僕は誰に勧められるわけでなく、独りでスポーツ新聞や競馬新聞などを持って、某所のWINS(場外馬券売り場)に出入りしていました。

当時は競馬新聞の見方もよく分からない19歳の秋でした。

当然、最初は知らない馬ばかりなので、その時のスターホースであるメジロマックイーンやトウカイテイオー(この時は確か両方とも怪我で休養中でした)なんかも、何それ?状態でしたね。

その時に目が行ったのが、三歳馬(現在の馬齢表記だと二歳)達なんですが、まだそれほどレースを経験していない馬ばかりなので、デビュー戦から追いかける馬なども現れるなど、ともに競馬を学んで(分析して)いくには格好の教材でした。

そんな当時、三歳戦線の中心にいたのが後に菊花賞を制することになるビワハヤヒデだったのですが、三歳馬たちがトーナメント戦のように勝負を繰り消して絞りこまれ、重賞やGⅠレースで極限の勝負をする姿に一気にはまっていったのは、スポーツ好きの僕にとっては必然だったのかもしれません。

”最初のアイドルホース”ビワハヤヒデは今も健在

初めて覚えた馬の一頭であるビワハヤヒデは、残念ながら結局朝日杯3歳ステークス(GⅠ:現在の朝日杯フューチュリティステークス)でエルウェーウインに敗れますが、素人には分かりやすい芦毛であり、なお且つ安定した走りっぷりでレースに行っては人気するなど、気にならないはずはなく、いつの間にかこの馬のファンになってしまいました。

四歳になっても勝ちきれないレースを繰り返したビワハヤヒデなんですが、その年の秋に本格化した後は菊花賞を制し、その後はスターホース・アイドルホースとして活躍していきます。

一歳下のナリタブライアンとの兄弟物語も当時は競馬ブームの火付け役として恰好の材料でしたね。

それから約25年が経ち、ビワハヤヒデやナリタブライアンをはじめとして、サイレンススズカやエルコンドルパサー、キングカメハメハやウォッカ、ディープインパクト、オルフェーヴルなど、彼を超える活躍や衝撃を残した馬などもたくさん見てきました。

しかしながら彼らも生き物です。

今月にはウォッカやヒシアマゾンといったビワハヤヒデの年下で名牝と呼ばれた馬たちが亡くなるなど、2000年台前半以前に生まれた馬たちはすでに10代後半から30歳近くになるなど実は存命というほうが珍しい(サラブレッドの寿命は大体20年)という時期になっています。

幸いにして僕のアイドルであるビワハヤヒデはまだ元気なようですが、競馬を見始めたころに活躍していた馬たちは残念ながら生きている馬のほうが珍しいぐらいです。

そこで今回は個人的な興味もあり、競馬をはじめたころの馬たちが今どうしているのか、もしくはどんな馬生を送ったのかを調べてみることにしました。

題してサラブレッド版「あいつ今何してる?」なんですが、テレビ朝日の某番組のパロディとしてご愛読いただければと思います。

第一回目は僕が最初に見た有馬記念の勝ち馬メジロパーマー世代(普通はメジロマックイーンという言い方が正確なんですがw)から振り返っていきます。

出来ればシリーズ化していきたいですね。

(画像引用:Wikipedia「メジロマックイーン」より)

※この記事の情報は2019年4月23日現在のものであり、馬齢表記・レース名などは当時のものに合わせて表記します。

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メジロマックイーン

2006年没(心不全) 享年19歳

種牡馬として成功しなかったものの、母の父として大物を出す

1987年生まれと言えば大将格は何と言ってもこのメジロマックイーンでしょう。

史上初の10億円ホースとして大活躍した馬で、僕が実際にレースを見たのは引退した最後の年のみでしたが、憎たらしいほどの大人の走りで負けるイメージがまったく湧かない馬でしたね。

当時としてはかなり珍しい親子三代にわたる父内国産の活躍馬でありながら、圧倒的な成績を残したこともあり1994年に社台ファームで種牡馬入りしますが、産駒は若干決め手に欠ける馬が多く直系は続きませんでした。

しかしながら彼の血は牝系に入ってドリームジャーニー、オルフェーヴル兄弟やゴールドシップなどを出すなど存在感を放っています。

2006年に心不全のために19歳で急死したようですが、この日4月3日はマックイーンの誕生日だったそうです。

メジロパーマー

2012年没(心臓麻痺) 享年25歳

1987年のメジロ牧場は当たり年であり、もう一頭の活躍馬はメジロパーマーです。

この馬もメジロマックイーンと同じく父親がメジロ牧場出身の種牡馬で、こちらはさらに地味なメジロイーグルだったのですが、同期にはマックイーンやライアンがいて全く期待されておらず障害レースを走ったほどでした。

しかしながら平地レース復帰後はなんと宝塚記念と有馬記念を同年に制してしまいますが、逃げ脚質もあってか、その力は最後までフロック視されていた記憶があります。

ポジション的にはマックイーンが怪我でレースに出られないレースなどを、代役として出走して重賞戦線を彩っていた馬の一頭でしたが、個人的にはワンペースで行かせるとかなり怖い一頭でしたね。

1994年にアロースタッドで種牡馬入りしていますが、元々雑草血統ということもあり目立った産駒を残せず、2002年には種牡馬から引退しています。

その後は故郷のメジロ牧場で功労馬として余生を送りますが、2012年心臓麻痺のためこの世を去っています。

享年25歳でしたが、かなり人気のある馬だったのでこの馬を目的に牧場を訪れたかも多かったでしょう。

メジロライアン

2016年没(老衰) 享年29歳

メジロ三羽烏の最後の一頭はもちろんメジロライアンですが、僕が競馬をはじめたころにはすでに引退していたので種牡馬としてのイメージが強いですね。

一般的にはオグリキャップの引退レースで直線で襲いかかる一頭としてテレビによく登場しますが、クラシック戦線で皆勤賞だった馬なので1990年台はライアンが一番人気があったような気がします。

1993年にマックイーン、パーマーに先駆けてアロースタッドで種牡馬入りしますが、父内国産(父はアンバーシャダイ)ということもあり全く期待されていなかったものの、牝馬ではメジロドーベル(GⅠ5勝)、牡馬ではメジロブライト(GⅠは1勝も獲得賞金は約8億円)を出すなど一年目からいきなり牡馬、牝馬両方でクラシック戦線の中心馬を出すなど驚きのスタートを飾りました。

当時は事件でしたね。

その後も安定した成績を残しましたが、2007年頃にに受精能力を失い種牡馬生活を引退しています。

2007年にアロースタッドから故郷のメジロ牧場に移動。2011年にメジロ牧場が閉鎖された後はレイクヴィラファームで余生を送り、2016年に老衰で亡くなりました。

後継種牡馬として期待されたメジロブライトが2004年に10歳という若さで急死し、サイアーラインが続かなくなったのは残念でしたが、もう一頭のGⅠホースであるメジロドーベルの孫世代からは青葉賞を勝ったショウナンラグーンが出ています。

ただ、マックイーンに比べるとライアンの子供は結構活躍していただけに、その血を見ることが少なったことは残念ですね。

ダイタクヘリオス

2008年没(不明) 21歳

この世代と言えばどうしてもメジロの三頭のイメージが強かったのですが、GⅠを二勝したこのダイタクヘリオスを忘れていました(笑)。

改めて戦績を見直してみるとあまり大崩れしておらず強い馬に見えるのですが、現役時代の印象は真逆で、とにかくスタートと同時に後先考えずぶっ飛ばしていき、きまぐれのイメージの強い馬でしたね。

1993年から種牡馬入りしていますが、父内国産(父はビゼンニシキ)ということもあり当初はまったく期待されていなかったものの、初年度産駒からダイタクヤマト(スプリンターズステークスなど重賞三勝)を出すなど、意外な活躍を見せました。

2002年に青森県の山内牧場に移り、2008年に種牡馬を引退していますがその年に亡くなっています。最後は静かに亡くなっていたそうです。

アイネスフウジン

2004年没(腸捻転) 17歳

1990年(1987年生まれ)の日本ダービー馬です。

2004年にキングカメハメハに破られるまで、ダービーで記録した2分25秒3はレースレコードでしたが、何と言っても驚きはこのタイムは逃げて記録したことですね。

ラップタイムを調べても、今より時計がかかった芝状態で12秒台前半のラップを連続して刻んでおり、かなり強い勝ち方だったことが分かります。

日本ダービー中に故障していたことがレース後に判明し、その後一度も走ることなく引退して、1991年には種牡馬入りしていますが、繁殖牝馬や活躍馬には恵まれず、2004年に宮城県の斎藤牧場でひっそりと亡くなっています。

ハクタイセイ

2013年没(腸閉塞) 26歳

マックイーン世代の皐月賞馬なんですが、このぐらいの年になると若い競馬ファンは名前すらも聞いたことがないかもしれませんね。(僕でギリギリぐらいですから・・・)

この馬もアイネスフウジン同様引退が早く、ダービー後は走っていません。(正確には翌年1991年の安田記念に出走しようとしていたものの取り消し)

皐月賞まで6連勝していたり、70年台のアイドルホースであるハイセイコーの血を引くということで1992年に日本軽種牡馬協会(静内種牡馬場)で種牡馬入りしていますが、一年目には26頭しか繁殖牝馬が集まらず、翌年の1993年には鹿児島に移動しています。ただ、ここでも種付け頭数は伸びなかったようです。

1997年には元々いた静内種牡馬場に戻ったあとは、転々としながら種牡馬生活はつづけていたようですが、2006年を最後に種付けは行われず、2010年に種牡馬を引退しています。

その後は静内種牡馬場で功労馬として余生を送っていたようですが、2013年に腸閉塞で死亡しています。

産駒を調べてみると中央では5頭、地方では33頭しか走っておらず、皐月賞馬としては少しかわいそうですね。

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ホワイトストーン

1998年没(小腸癒着) 享年11歳

1987年生まれのアイドルホースと言えばメジロライアンやメジロマックイーンですが、たくさんのレースに出走してファンに親しまれた馬と言えばこのホワイトストーンも忘れられない一頭でしょう。

8歳(現在の7歳)まで走り結局GⅠは勝てませんでしたが、GⅡ二勝やGⅠで強敵相手に大崩れしなかった実績を買われ、1995年に父シービークロスも繋養されていた新冠畜産センターで種牡馬入りしています。

しかしながら種牡馬入りして、わずか四年後の1998年に小腸癒着が原因で亡くなっています。

中央では15頭、地方では57頭がしましたが、地方で重賞を一勝したのみで目立った産駒は出ませんでした。

アグネスフローラ

2005年没(出産後の蹄葉炎) 享年18歳

この年の桜花賞馬であり、オークスで2着に敗れた以外はすべて勝利するなど素晴らしい成績を残した馬ですが、この馬の名前をさらに広めたのは繁殖入りしてからです。

オークスを最後に翌年から社台ファームで繁殖入りした同馬ですが、しばらくは目立った産駒が出てこなかったものの、四番仔アグネスフライトが日本ダービーを制し、母アグネスレディーから三代続けてクラシックを制することになります。

しかも五番仔のアグネスタキオンは無敗で皐月賞を制したあとは種牡馬としても大成功しリーディングに輝いたほどでした。

結局八頭の子供を送り出した後、2005年の出産後に蹄葉炎を発症しこの世を去ってしまいますが、アグネスタキオンという素晴らしい馬を残したことにより、その血は長く残っていくことでしょう。

ただ、アグネスタキオンがわずか11歳で早世したのは残念でした。

ダイイチルビー

2007年没(蹄葉炎) 享年20歳

当時はまだ競走能力で牝馬は牡馬に劣ると言われていた時代ですが、そんな混合の古馬GⅠを二勝したのがダイイチルビーです。

80年台頃には”華麗なる一族”として繁栄を極めた牝系の出身として期待されましたが、古馬になって短距離路線にシフトチェンジしてから本格化し、安田記念とスプリンターズステークスを制しています。

ただ、僕が競馬を見始めた時期とは若干ズレており、現役時代よりも競馬育成ゲームのダビスタ(ダービースタリオン)で肝心な時に突っ込んでくる憎っくき馬という印象のほうが強かったですね(笑)。

1992年の引退後はダイイチ牧場で繁殖入りしていますが、一番仔のダイイチシガーがオークスで三着に入るなど活躍したものの、それ以降は一族も含めて目立った産駒は出ていませんね。

ダイイチシガーは中々強い馬だったのですが、このあたりから血は伸びてほしいところですね。

2007年蹄葉炎が原因で亡くなっています。

エイシンサニー

栄進牧場で余生を送る(存命)

1990年のオークス馬がエイシンサニーですが、なんとまだご存命のようです。

なんと御年32歳ということですが、5歳年下のエイシンサンサン(27歳)と一緒に繋養されているようですが、今回の記事はまだ元気な馬がいれば見つけたいなという思惑もあったので、うれしいですね。

イクノディクタス

2019年2月7日没(老衰) 享年32歳

1987年生まれの牝馬たちはアグネスフローラやエイシンサニーのように引退が早かったので競走馬としての印象はないのですが、この世代で存在感を放ったのはなんといっても”鉄の女”イクノディクタスです。

デビュー前は屈腱炎で競走馬としても危ぶまれたそうですが、デビュー後は怪我無く51戦を走り、日本の牝馬では初の獲得賞金5億円を達成しました。

引退後は五丸牧場で繁殖入りし、確認できたところでは十頭を出産していますが、結局中央で勝利をあげた馬はいなかったようです。

現役時代と同様最近まで元気な姿を見せていましたが、今年の2月に残念ながら老衰で亡くなっています。

※ 今後リライト・追記しています。できれば存命の馬がいればご紹介したいと思います。

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