サクラバクシンオー いまだ最速の名は譲らない最強スプリンター:愛すべき名馬・迷馬列伝(4)

”伝説の電撃王”サクラバクシンオー

2018年の中央競馬(JRA)もいよいよ今週(2018年9月30日)からスプリンターズステークス(GⅠ、中山競馬場、芝1200m)が開催され、待望の秋のGⅠシリーズが始まります。

スプリンターズステークスと言えば読んで字のごとく最強スプリンター(短距離)を決める戦いなのですが、春先に行われる高松宮記念(GⅠ)とならんで、JRAには二つしかない芝の電撃戦です。

また二つと言っても、レースの歴史を考えると同じGⅠながら、まだまだスプリンターズステークスのほうに重みや格式を個人的には感じてしまうのは、僕がおっさんなせい(笑)なんでしょうか。(さすがに高松宮記念が2000mというイメージはなくなりましたが・・・)

さて、過去には様々なスプリンターたちがこのスプリンターズステークスを制してきたわけですが、昨年、一昨年はレッドファルクスが連破し、ちょっと前には現在種牡馬としても活躍中のロードカナロアが安定感抜群の強さで同じように連破をしています。もう少しさかのぼるとサクラバクシンオーも連覇をしています。

この記事のために改めて調べなおしてみると、長いこと競馬を見てきたのであんな馬やこんな馬がいたなぁと感慨深くなってしまいますが、この中で”歴代最強のスプリンターはどの馬か?”を聞かれ時に若い競馬ファンならロードカナロアの名前が恐らく挙がってくるのではないのでしょうか。

しかしながら競馬を見始めて約25年近くになる僕ですが、日本の芝1200mで最強・最速として名前を挙げたいのはロードカナロアではなく、すでに亡くなってしまい、いまや伝説的なスプリンターとして神格化されつつあるサクラバクシンオーのほうです。

競馬は進化の歴史であり、近年のスターホース、例えば中長距離だだとディープインパクトやオルフェーヴルが過去の名馬たちをすでに超える存在であることは僕も認めるところなのですが、いまだにスプリント戦に関してはこの馬を超えたと思われる馬が僕の中では存在しません。

ロードカナロアに関してはサクラバクシンオーに唯一”近づいた存在”とは感じるのですが、今回はスプリンターズステークスも直前ということで、このサクラバクシンオーにスポットライトを当てたいと思います。

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サクラバクシンオーの血統と生い立ち

父:サクラユタカオー 母:サクラハゴロモ(母の父:ノーザンテースト)

サクラバクシンオーは1989年に社台ファーム早来(現在のノーザンファーム)で誕生しています。いまでこそノーザンファームはブッチギリ1位の生産牧場ですが、当時社台ファームまだ創業者の吉田善哉さんが亡くなって数年しか経っておらずの影響力も残っていた時代でした。だから、印象としては吉田家の三男である吉田勝己さんのところから出てきた馬という印象だった記憶がありますし、当時は”ああ本体のほうじゃないほうか”と思った記憶があります。

父サクラユタカオーは天皇賞(秋)を制した一流馬で、バクシンオーは二世代目の産駒にあたりますが、当時の日本の種牡馬界はまだ海外種牡馬全盛の時代で、結果を残していたテスコボーイの血を引く期待の父内国産種牡馬とは言っても、とりあえず国内産の種牡馬の中では比較的走りそうぐらいの期待度だったような気がします。

当時は”ネクストノーザンテースト”を探して、リアルシャダイやトニービンに期待が集まっていましたし、非ノーザンダンサー系で日本競馬との相性のいいナスルーラ系の種牡馬がたくさん輸入されていた記憶があります(サクラユタカ―オーもナスルーラ系なんで社台ファームが欲しがっていたみたいです)。

母サクラハゴロモにとってサクラバクシンオーは初仔となりますが、サクラハゴロモの全兄には有馬記念や天皇賞(春)を制したアンバーシャダイがおり、近親にはイブキマイカグラがいるなど、当時の社台ファームがほこる自慢の牝系出身です。

サクラバクシンオーの弟や妹たちも重賞勝ちまでは行きませんが、総じて4~5勝しており、相当優秀な繁殖牝馬だったことが分かりますが、ここまでアベレージが高い繁殖牝馬は僕も中々見たことがありません。

1989年生まれの競走馬

1989年生まれと言えば何とって言っても代表格はミホノブルボンです。

牡馬のクラシック戦線は当時出来たばかりの坂路で鍛え上げられたミホノブルボンを中心に展開され、そこにライスシャワーやマチカネタンホイザ、ナリタタイセイ、サクラセイカイオ―なんかが挑むといった構図でした。

牝馬はニシノフラワーを中心にまわっていた感じですね。

ただ、この世代はどちらかと言えば古馬や秋以降になって強くなるタイプが多くて、前述のライスシャワーなどのほか、シンコウラブリイやレガシーワールド、トロットサンダー、他にはエルカーサリバーやタケノベルベットなんかがいて、サクラバクシンオーも徐々に力をつけてきた感じでした。

こうして名前を挙げて改めて見返してみると、どの馬も長所とともに短所も抱えていた馬が多く、世代的なレベルは結果的にはあまり高くなかったような気はします。ライスシャワーは3000m以上でしかいらないし、レガシーワールドは切れ味不足、トロットサンダーは追い込みしか芸がない、バクシンオーも1400m以下意外では普通の馬というのがはっきり分かっていました。

その分馬券は買いやすい馬が多かったんですが、やっぱり結果的にも世代内でもサクラバクシンオーは抜けた馬だったということになりますね。

ちなみにこの世代の僕のお気に入りの馬は牡馬はサクラバクシンオーで牝馬はエルカーサリバーでした。あとこの頃から藤沢和雄調教師も全盛期を迎え始めますね。

期待の有力馬も当初は単なる速い馬

ここからはサクラバクシンオーの現役時代に触れていきたいと思います。

4歳(今の表記だと3歳)時はクリスタルカップ(GⅢ:現在は廃止)を制しているサクラバクシンオーですが、当初は父サクラユタカオーの種牡馬としての評価が定まっていない時期でしたし、伯父がアンバーシャダイということからクラシックを狙っていたはずです。

それがスプリングステークスの12着大敗(勝ったのはミホノブルボンで3秒5差の大敗)により短距離路線を進むことになったのですが、春から期待はされていたもののニュージーランドトロフィーではシンコウラブリイに敗れるなど、有力馬の一頭ではあるものの、とりあえず速いだけの馬という印象でしたね。

弱い相手だといいレースはするんですが、4歳で挑んだスプリングステークスも三番人気ながらさすがに6着に敗れています。

どうも短距離のほうが合っていると陣営にも分かってきてからは大崩れしなくはなったんですが、古馬になって初めてスプリンターズステークスを制した時も、”スプリント界に強そうな馬が出てきたな”と評価はされつつもこの時はまだまだ短距離の有力馬の一頭という感じだった記憶はあります。

当時のスプリンターズステークスのオッズを見返してみると、ヤマニンゼファーが2.2倍の一番人気、サクラバクシンオーが4.3倍でこれに続き、三番人気がニシノフラワーの5.6倍で失礼ながらこの程度だったわけです。(ヤマニンゼファーやニシノフラワーも弱い馬ではありませんが、前者はマイラー寄り、ニシノフラワーは古馬になってかつての輝きを失っていました)

敗れた毎日王冠で評価を上げる

5歳(今の馬齢表記では4歳)で念願のGⅠホースとなったサクラバクシンオーですが6歳になると凄みを見せ始めます。

6歳初戦のダービー卿チャレンジトロフィー(GⅢ、芝1200m)に出走し、大楽勝します。斤量や安田記念を見据えてのローテーションだったわけですが、オッズも1.2倍の中での楽勝劇で調教のようなレースでした。

この頃から陣営の馬が本格化したというコメントもあり、”短い距離なら普通の馬では相手にならないんでね?”といった雰囲気が漂い始めます。

ただこの後に二戦、安田記念と毎日王冠は三番人気と四番人気いずれも四着に敗れますが、スキーパラダイスなど歴史的に見てもかなりの海外の有力どころが参戦してきた安田記念はしかたないにしても、敗れた毎日王冠で実は評価を高めます。

この頃から陣営も1400m以下とそれ以上では別の馬になるとコメントをし、世間も戦績からなんとなくそういった認識を持たれ始めて挑んだのが毎日王冠だったのですが、レースはサクラバクシンオーが57秒5というハイペースで逃げを打ちます。

高速馬場が当たり前となってきた現在ではこれぐらいのタイムでも、少し早いぐらいのペースなのでしょうが、当時の57秒5は今と違い”少し無謀”とも思われるペースでした。しかも斤量は59㎏です。

結局四着には敗れるものの、直線半ばまでサクラバクシンオーは先頭を走っており走破タイムの1分45秒0も当時の日本レコードを0秒1更新するもので、”千四百までなら相当強い”という噂はファンの中では確信に変わっていくわけです。

この時のメンバーは非常に質が高く、勝ったネーハイシーザーは元々この距離の日本レコードを持っていましたし、他の出走馬も牝馬の強豪スターバレリーナやGⅠでもそこそこいい戦いをするフジヤマケンザンやナイスネイチャ、マチカネタンホイザ、ステージチャンプも揃っており、セキテイリュウオーやマイシンザンさらにはGⅠホースであり後にダートの最強馬となるホクトベガも参戦していました。この顔ぶれの中での印象的なパフォーマンスだったのです。

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ノースフライトとの闘い

毎日王冠の内容次第では天皇賞(秋)への出走もプランもあったサクラバクシンオー陣営ですが、毎日王冠のレース内容から結果を残していた短距離路線へ目標を定めます。

そしていよいよここからが真骨頂だったのですが、サクラバクシンオーの前に立ちはだかったのが一つ下の牝馬ノースフライトです。

やはりバクシンオーと言えばライバルとして名前が挙がるのは彼女ですよね。

しかしながら改めて調べなおしてみると、実は思っているほど対戦はしておらず三度しかいっしょに走っていません。この夏の安田記念と秋のスワンステークス、スプリングステークスのみなんですよね。

リアルタイムで見ていた僕としても意外な感じなんですが、やはりこの二頭の激突が印象的だったのはレースの質のせいでしょうか。それぐらいインパクトのあるものでした。

ノースフライトという馬は前年にクラシックを制した同じトニービン産駒のベガやウニングチケットと同世代なのですが、虚弱体質で遅れて出てきたものの、ほぼ完璧な結果を残しながらこの年の安田記念を制していました。

この当時は今と違い海外馬の評価もかなり高かったのですが、それを向こうにまわしての勝利だっただけにこのノースフライトの評価もサクラバクシンオーとともにかなり上がってきている中での対決でした。

そして迎えたのがスワンステークス(GⅡ、阪神1400m)だったのですが、トニービン産駒ということもありマイルから中距離が適正と見られていたノースフライトと、1200mなら現役で一番速いと思われるサクラバクシンオーが、お互いに歩み寄ったような距離でのレースだったので注目がかなり集まりました。

そしてこのレースが圧巻の内容だったわけです。

レースは二番手を進むサクラバクシンオーが他の馬など関係ないというレースぶりで勝利したのですが、ノースフライトも差してはきたものの前に行った馬が止まらないのでどうしようもないといった感じのレースでした。

勝ちタイムの1分19秒9も芝の1400mでは日本で初めての1分19秒台ということで、”速い馬”からもしかして”日本競馬史上でも一番速いのでは?”といった声も聞こえ始めました。

それぐらい当時の1分19秒台という時計は衝撃的だったわけなんですが、阪神競馬場は今でこそ時計が出やすくなっていますが、昔は時計がかかる競馬場であり、1分20秒台で速いと言われた時にそれを突き抜けるようなタイムだったわけです。

僕もこのレースを見て、かなりぶったまげた(笑)のを覚えています。

1400m以下ならもう勝てる馬はいないと思えましたね。

そしてノースフライトと三度目の戦いとなったマイルチャンピオンシップ(GⅠ、芝1600m)ですが、ノースフライトは休み明け二戦目であり、またサクラバクシンオーが1600m以上の距離で一勝もしていないこともありノースフライトが1.7倍の一番人気、サクラバクシンオーが3.3倍の二番人気となりました。

このレースは何といってもサクラバクシンオーがはっきりとした距離の限界を示しつつあったのでスワンステークスの差も距離が延びれば詰まるという予想が多かったのですが、それでも”今のバクシンオーの充実ぶりならなんとかしてしまうかも?”という淡い期待を抱いた人もいたものの、結果は人気どおりにノースフライトの完勝で終わりましたが、結局はマイル以上だとサクラバクシンオーは普通の馬になるなと、僕は妙に感心したレースでしたね。

サクラバクシンオーとノースフライトは夏に行われた安田記念とこの秋の二戦のみでしたが、この二戦でお互いに持ち味を十二分に発揮し圧倒的なパフォーマンスを見せたことや、この二頭以外が全く議論に上がらなかったことが、この両頭のライバル関係のイメージを植え付けたのかもしれません。

伝説の引退レース

ノースフライトとの濃密な二戦は名勝負とも言えるものでしたが、サクラバクシンオーと言えば圧巻は引退レースとなった1994年のスプリンターズステークスです。

すでにこのレースでの引退を表明していたサクラバクシンオーは順調にこのレースを迎えますが、最後の最後で再び圧巻のパフォーマンスを見せます。

レースはヒシクレバー他、ホクトフィーバスや後にスプリントGⅠでも活躍するエイシンワシントンなど、とにかく前に行きたい馬ばかりが揃い前半32秒4というとんでもないハイペースを作り出します。

32秒4だと今でもかなり早いペースだと思うのですが、あえて付け加えると当時のスプリンターズステークスは12月の第三週に行われており馬場状態はそれほどよくありません。

そんな中でのこのハイペースだったのですが、サクラバクシンオーはいつものように涼しい顔をしてこれらを見ながら先行します。

当時の僕も”さすがに速いんでね?”とは思ったのですが、レースは直線を向くとさらにサクラバクシンオーは、さらに上のギアを使い加速します(実際は先行馬が止まったんですが当時はそう思いました)。

直線だけでなんと四馬身をつける形となり、二連覇を達成したのですが勝ちタイムは今での十分早い1分7秒1というタイムで、一頭だけ異次元の走りをしたことは一目瞭然でしたね。

普段楽勝の時はあまりこの馬を追わない小島太元騎手が、このレースだけは最後まで追ったことも印象的でした。

※少し長くなりすぎたのでこの馬については今週中にさらに追記したいと思います。

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