二十年前のトップ騎手が今何をしているのか改めて調べてみた

騎手のイメージ画像

かつてのトップジョッキー達は今どうしてる?そして昔はどんな騎手だった?

初めて僕が馬券を勝って競馬を見始めたのはたしか1992年の秋になります。

競走馬だとトウカイテイオーやメジロマックイーンが古馬として活躍していた時代で、当時は80年代終盤のオグリキャップブームをきっかけに爆発的に競馬人気が高まった時代です。

売り上げもピーク(JRAでは1997年の約4兆円が最高)を迎えつつあった時代なんですが、女性ファンもたくさんいましたし、競走馬だけでなく一部の騎手にもアイドル的な注目が集まっていた騎手もいました。

武豊騎手は今の若いファンにはピンとこないかもしれませんが、ルメール騎手以上の別格的な存在であり、武豊で負けたら仕方ない、とりあえず武豊を乗せとけという感じもありましたね。

もはや競馬という枠を越えて、イチロークラスの人気と知名度を誇っていました。(スポーツ雑誌のNumberでは二人の対談なんかも行われました)

あれから25年以上が経ち、当時走っていた馬たちも多数が亡くなっており寂しい限りなのですが、騎手についても同様で、昔は若手のホープと呼ばれた武豊騎手が現在では年上の騎手がわずか四人しかおらず長老とも呼べる立場です。

年上の騎手がほとんど引退しただけでなく、年下の騎手、弟の武幸四郎元騎手なんかは調教師に転身しているほどで、当時鞭を握っていた騎手なんかは大分少なくなりました。

そこで今回は、昔騎手として活躍していたトップジョッキーが今何をしているのか、当時のイメージとともに振り返ってみたいと思います。

1992年だと少し古すぎて若手ファンがついてこれないかもしれないので、今から二十年前の1999年のリーディングを参照して振り返ります。

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武豊(たけ ゆたか)

怪我により一時不振に陥るも、トップジョッキーとして復活

1999年のリーディング騎手はもちろん武豊騎手です。

この年は178勝をあげ、自身の持つ最多勝記録を更新した絶頂期の時代となります。

その後2005年には212勝というとんでもない記録を樹立(2018年ににルメール騎手に破られます)していますが、当時のトップジョッキーは多くて100勝していた時代だったので、170勝もするというのはもはや異次元の数字でした。

長きにわたり武豊王朝を築いていた武豊騎手ですが、運命を変えたのは2010年の落馬事故です。

早期に復帰をした(と言っても半年もかかっているほどの大怪我だった)ことにより、身体のバランスを崩してしまい、かつての輝きを失います。

ただ、本人の壮絶な努力とそれまでの偉ぶらない立ち振る舞いなどもあってか、彼を支える馬主や調教師が少なからず存在し、今年はついに全盛期並みの復活を果たそうとしています。

不振のきっかけとなった落馬前の2009年以来の140勝までは中々難しいかもしれませんが、すでに100勝は確実となっています。

昔ほどの騎乗馬の質はありませんが、重賞での存在感は抜群ですね。人気薄が気づいたら三着に来ていたというパターンも多いですね。

騎手だけでなく競馬関係者からの人望は抜群で、彼の悪口を言う人がほとんどいないというのはさすがとしか言いようがありません。

僕は今でも武豊ファンの一人です。

蛯名正義(えびな まさよし)

現役続行も調教師を目指して勉強中

1999年のJRA騎手リーディングの二位は、武豊騎手と同期であり、同学年でもある蛯名正義騎手でした。この年は129勝をあげています。

ご存知のようにいまだ現役を続けていますが、ここ一、二年は調教師転身を目指して騎乗数を減らしているので全盛期から考えると騎乗数はかなり少ないですね。

ただ、2019年の調教師の一次試験の結果はすでに不合格だったことが報道されており、今後騎手としての活動をどうするのか注目が集まります。騎手としては最晩年という可能性も考えられますね。

90年代前半は関東(美浦)の岡部・柴田政人という両ベテランを追いかける有望な若手騎手の一人という感じでしたが、関西の人間からすると同期に武豊騎手もいたせいかずーと地味な印象でした。

下手だとは思わないんですが、なんとなく乗っている馬のほうが目立つ騎手ですよね。

ただやっぱりエルコンドルパサーと言えば蛯名騎手ですね。

柴田善臣(しばた よしとみ)

現役最年長ジョッキーも全盛期の姿は見られず

1966年生まれで、現在のJRAでは最年長騎手となります。

かつては柴田政人騎手の甥っ子として知られ、蛯名正義・田中勝春騎手などとともに期待された実力派の若手でしたが、2000年代中盤からは成績が落ち、すっかり中堅騎手になってしまいました。

お折り合いをつけるのがうまい騎手ですが、リーディング上位にいたのに代表馬がパッと浮かばない不思議な騎手ですね。

岡部幸雄(おかべ ゆきお)

現在は解説者もかつては東の王様として君臨

1999年の騎手リーディング四位はこの岡部幸雄騎手でしたが、なんとこの時51歳、今年武豊騎手が50歳なので近い状況になります。そう考えると四位というのは物凄い成績ですね。

西日本に住んでいると、現在はGⅠ競走などの時に解説者として時折見るぐらいなんですが、この人はフリー騎手や50歳(騎手としては当時の常識ではかなり高齢)になっても騎手を続けるなど騎手界でのパイオニアと言える存在です。

武豊騎手は突然変異的に競馬界に現れた神のような存在でしたが、この岡部騎手は人界の王様というか、九十年代は西の武豊、東の岡部として唯一対抗できるようなイメージがありました。

シンボリルドルフやビワハヤヒデ、また特に藤沢和雄きゅう舎の躍進にかなり関わった騎手で、この人が乗って負けても、馬を教育していただけなんだと妙に納得させられる騎手でしたね。

若手競馬ファンのみなさん、ただのおじいちゃんじゃなくてスゴイ騎手だった人なんですよ。

横山典弘(よこやま のりひろ)

現在は騎乗機会減少も存在感は失わず

関東では岡部騎手や的場均騎手が活躍していた時代に、個性的で存在感の発言で異彩を放っていたのが横山典弘騎手でした。

前述の蛯名正義騎手や柴田善臣騎手と同程度の活躍はしていましたが、ここ一番での勝負強さはずば抜けており、今と同様、勝つためには突然何をやるか分からないトリックスターぶりだった印象があります。

いまではご子息である横山和生・横山武史両騎手とともに現役生活を送っていますが、どうも分かってに騎乗機会を譲っているようで昔ほど勝ち星はあげていません。

最近でもゴールドシップやアエロリット、リオンリオンなどちょっと油断していたらあっさり勝たれたり、人気したと思ったらコロッと負けたり、騎手として目の離せない数少ない人物ですよね。

お父さんやお兄さんも騎手として活躍した他、息子二人も騎手で、義理(妹)の旦那も菊沢隆徳調教師(元騎手)など、横山一族の中心人物であり重鎮です。

武豊騎手にもしっかりとモノを言える数少ない騎手の一人ですね。

藤田伸二(ふじた しんじ)

現在はバーのオーナー、YouTuberとして活躍

1999年のリーディングは武豊騎手以下は美浦のジョッキーが続きましたが、関西(栗東)で二位、全体で六位だったのが藤田伸二騎手になります。

ただ、これは関西の騎手がだらしないというよりも、それだけ武豊騎手が勝ちまくっていた、いい馬が集中していた結果なのでしょうがないと言えますね。

この藤田伸二騎手は現在の騎手エージェント制の導入や若手騎手の騎乗機会減少に反発し、2015年突如引退してしまいますが、若手の時からモノ言う騎手として強烈な個性をはなった存在でしたね。

ただこの人の凄かったところは抜群の騎乗技術を活かした馬の制御技術にあり、リーディング上位騎手で制裁点0点の騎手にしか与えられない特別模範騎手を二度受賞するなど、非常にクリーンで安全な騎乗を続けた点ですね。

それでいて大舞台に強いなど、めんどくさいけど結果はしっかりと残す有言実行ぶりはさすがという感じでした。(ただ反面アンチも多かったですが・・・)

引退後は地方競馬の騎手を受験しますが不合格となり、現在は北海道でバーを経営したり、YouTubeでレースや競馬に関するコメントを発するチャンネルをもっていますね。

たまに現役騎手などが登場するなど、さすがの人脈と人望という感じです。

また、この藤田伸二騎手ですが動画内で時折、武豊騎手にも厳しいコメントをしたりする場面もありますが、某番組に一緒に出演していた際には、デビュー前(きゅう舎で実地研修時代)からの仲で、いっしょによくつるんで遊ぶなどかなり仲がよかったとお互いが発言していますね。

そういったかなり近い関係性があるからこそ、歯にもの着せぬ発言ができるのではないのでしょうか。あの動画を見たことある人は、おそらく武豊騎手はまったく怒ってないだろうなぁと想像するはずです。

※時間がある時にその他の騎手についても追記したいと思います。


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