知りそうで知らない安倍晋三内閣総理大臣とは?

安倍晋三 一致団結

歴代総理大臣について調べていたら色々と興味深かった安倍総理

今回は安倍晋三現内閣総理大臣(首相)についての記事になります。

現在新型コロナウイルスの世界中が右往左往している中、いやが上にも注目が集まる安倍さんですが、今回はそのトレンドに乗って・・・ではなく(笑)、実は以前からちょっとづつ書いていた「歴代総理大臣が初めて閣僚になったのは何歳なのか調べてみた」(近日公開予定)という記事で、安倍さんの欄に差し掛かったところ生い立ちなどを書いていたら膨大になりそうな気配になったので、思い切って独立した記事になったというのが事の次第です。

政治に興味のない人にとっては、知りそうで知らない現内閣総理大臣”安倍晋三”(※)の人物や生い立ちについて迫ってみたいと思います。(政治や政治家について詳しい人にとっては当たり前のことになるでしょうが・・・)

最初に断っておくと、僕は別に自民党支持でもアンチでもないので、あくまでフラットな目線で安倍さんや政治に対する印象などを書いていきたいと思います。

また、内容については当時政治にまったく興味のなかった(今でもそんなに興味があるわけではありません)僕がテレビや新聞などを通して見たことや感じていたことを思い出しながら、かつ一応確認しながら書いてはいるものの、事実誤認もあると思うので大きな間違いがあればご指摘いただければと思います。

安倍さんについての評価については、あくまで安倍さんの行動についてはの個人的な考察ですので、そのあたりは十分にご理解いただければと思います。(結局のところ実際安倍さんが何を考えていたのかは本人やごく近い人しか分からないので、このあたりにツッコミはあっても無視します)

※ 以下の取り上げる人物については一部敬称略とします。あらかじめご了承ください。

(画像引用:「自由民主党」公式サイトより)

スポンサーリンク


生い立ち

山口4区選出も東京生まれ東京育ち

1954年9月21日東京生まれ

安倍晋太郎と母洋子の間に三兄弟の次男として生まれています。

二つ上の兄である寛信は会社社長、五つ下の信夫は母方の生家である岸家の養子となり現在自民党の国会議員岸信夫として活動中です。

ここで興味深いのは弟の岸信夫さんは生後すぐに元内閣総理大臣岸信介の長男で子供のいなかた岸信和(実業家)・仲子夫妻の養子に出されており、安倍さんは大学に入ってから信夫さんの存在を初めて知ったそうです。

当時はかなりショックを受けたそうですが、そりゃそうですよね(笑)。

あと、安倍さんは山口四区選出の衆議院議員ですが、東京生まれ東京育ちで、父晋太郎さんが中学生まで過ごした山口県の選挙区を引き継いだ形となっています。

お父さんに連れられて山口県に里帰りなどはしているでしょうが、直接的な関係はないと言えますね。

こういった二世議員、三世議員の方は非常に多いのが現状ですが、こういった居住実績のない選挙地区からの出馬は個人的に少し違和感を感じます。

ただこういった政治的な地盤は昔ほど通用しなくなっているのは現状でしょうね。

政界のサラブレッド

僕のような40歳以上の世代ぐらいだと、安倍晋三さんと言えば、当初はお父さんである安倍晋太郎さんの息子さんというイメージのほうが強かったですね。

晋太郎さんと言えば奥さんがあの岸信介元首相の娘さんということもあり”政界のプリンス”と呼ばれ、八十年代には竹下登宮澤喜一安倍晋太郎の三人が自由民主党の次世代のリーダー候補として注目されていたのが思い出されますが、竹下さんと宮澤さんは総理になったものの、結局1991年に67歳で亡くなり一人だけ総理大臣になることができませんでした。

(子どもながらに晋太郎さんはメガネをかけてどこか地味な印象だったので、当時はそれが原因なのかかな?とは思いましたが、今になって調べなおしてみると、竹下さんと晋太郎さんは1924年で同い年だったようです。竹下さんと宮澤さんはどこかおじいちゃんというイメージがありますね(笑))

これほどの有力者の息子ということで最初からサラブレッドのイメージだった安倍さんですが、抜き出してみると父方からは政界、奥さんの昭恵さんから経済界への強いパイプがあることがより分かります。

ちなみに国会議員としては三代目となりますね。

安倍晋三の親族

父の父:安倍寛(あべ かん)・・・衆議院議員、当選二回
父の母:安倍(本堂)静子・・・祖父は陸軍大将で子爵の大島善昌(元長州藩士)
母の父:岸(佐藤)信介(きし のぶすけ)・・・第56・57代内閣総理大臣
母の父の弟:佐藤栄作・・・第61・62・63代内閣総理大臣
父:安倍晋太郎・・・さまざま大臣職や党三役などを歴任した自民党の実力者
母:安倍(岸)洋子・・・岸信介の長男
兄:安倍寛信(あべ ひろのぶ)・・・三菱商事パッケージング社長
弟:岸信夫(きしのぶお)・・・当選五回の衆議院議員(生後すぐに岸家へ養子)
妻:安倍(松崎)昭恵・・・父は森永製菓相談役の松崎昭雄。結婚前は電通に勤務
妻の父:松崎昭雄・・・森永製菓相談役
妻の母:松崎(森永)恵美子・・・森永製菓三代目社長森永太平の次女
妻の母の父:森永太平(もりながたへい)・・・父は森永製菓創業者森永太一郎

学生時代

平沢勝栄が家庭教師

安倍さんは1977年(23歳の年)に成蹊大学法学部政治学科を卒業されています。

お父さんの晋太郎さんが東京大学法学部出身なので間違いなく地頭はいいはずなんですが、調べてみると成蹊小学校→成蹊中学校→成蹊高校→成蹊大学と内部進学していますね。

有名な話ですが現衆議院議員の平沢勝栄(ひらさわかつえい)さんが東京大学在学中の1964年(安倍さんが10歳ぐらいの頃)から二年間家庭教師をしています。

あ兄さんの寛信さんも同じく成蹊大学(経済学部)を卒業されていることから、もしかしたらそれほど学歴にうるさい家庭ではなかったのかもしれませんね。

二年間アメリカに語学留学

そしてこれはあまり知られていないことですが、大学卒業後の1997年から二年間ほどアメリカのカリフォルニアに語学留学をしています。(うち一年間は南カリフォルニア大学で学んでいたようですが学位は取得していないようです)

二年間居たわりにあまり英語がペラペラというイメージがなく、和製英語をしゃべっている印象の強い安倍さんですが、逆に考えてみると、そんなに遊びまくってなかったのかもしれませんね。(大体留学して英語がネイティブぽくなるのは異性のパートナーがマンツーマンで教えてくれるというパターンですからね・・・)

まぁしゃべりはそれっぽくないとは言っても意思疎通ぐらいならまったく問題ないレベルにあることは想像できます。

スポンサーリンク


サラリーマン時代

神戸製鋼に入社

大学卒業後二年間アメリカに留学していた安倍さんですが帰国後すぐに株式会社神戸製鋼所に入社しています

都合三年七か月ほどサラリーマン生活を送っていますが、帰国したのは1979年の4月で、そこから即入社というのは就職活動の期間などを考えると違和感ありまくりで、これはコネ入社と考えてほぼ間違いないでしょう

まぁお父さんは国会議員二十年以上、お祖父さんはあの岸信介となると企業側としても、頼まれたら断るわけにはいかないでしょうし、逆に他の企業は是非ともうちにとはなるでしょうね。

コネ入社に関しては下層階級の僕たちからすれば憎たらしいもんですが、生まれも一つの才能みたいなもんなので個人的には否定しません。

お互いにメリットがあれば十分にありでしょう。

神戸製鋼に滑り込んだ(?)安倍さんですが、語学が堪能なこともあり一年間(ネット情報)ニューヨーク支社に配属されています。

そこで無事入社の経緯などをうまくロンダリング(笑)した安倍さんですが、帰国後は加古川製鉄所に配属されています。

三年半で二回異動

のちにここでのサラリーマン経験が自分の原点だと語っている安倍さんですが、テレビ番組などで取り上げられた際には、元上司の人が“普通の子だった”とか”政治家の息子なのにまったく偉そうじゃなかった”、”フットワークが軽かった”といった趣旨の発言をされていますね。

確か僕の記憶では女性の同僚の方が当時のことを思い出してよく覚えているとおっしゃっていました。(確かわりときれいめな女性だったような気が・・・)

そしてその後東京支社に配属されたあと政治家秘書になるために退職をしています。

ちょっとだけ気になる点としては入社三年半で部署が二回も変わるのはちょっと違和感は感じますね。もしかしたら帝王学を学ぶための社会人経験だったという可能性はあります。

お父さんの晋太郎さんも元々は新聞記者をしていた時代があるので同様の経験をさせたかったのでしょうか。

また、安倍さんは次男で、本来であれば長男であるお兄さんが跡を継ぎそうなもんですが、もしかしたらお兄さんは絶対イヤだと拒否していたのかもしれませんね。

政治家秘書

秘書時代に昭恵さんと結婚

約三年間サラリーマンをしていた安倍さんですが、1982年父であり、当時外務大臣をしていた晋太郎さんの秘書になるために神戸製鋼を退職しています。

いよいよ政治家になるための下積み開始です。

そして五年後の1987年6月、当時森永製菓社長であった松崎昭雄さんの長女であり電通に勤めていた昭恵さんと結婚されています。

出会いは職場の上司の紹介ということですが、お互いの家柄のことを考えると、この上司さんもどこぞの政治家の関係者で間違いないでしょうね(笑)。

ただし、残念ながら昭恵さんとの間に子供は生まれていません。

おそらく通常であれば安倍家(特に姑さん)からはなんらの小言やプレッシャーがあったことが想像されますが、今も変わらず奥さんといい距離感で歩んでいる安倍さんの様子を見ると、相当いい人なのではないかと思いますね。

最初から政治家を目指していた?

Wikipediaなどの情報によると結婚した1987年に政治家になるチャンスがあったようですが、地元宇部市の市長だった二木英明(故人)さんが出馬を表明したこともあり、晋太郎さんの説得によって出馬を断念したという情報があります。

このエピソードなどから見えるのは、もしかしたら思った以上に安倍さんは最初から政治家になりたくてしょうがなかったという可能性は考えられますね。

また晋太郎さんも息子可愛さに流されずに地元との縁を取ったということも考えられ、いい政治家だったのかもしれません。

スポンサーリンク


ついに政治家へ

父の死により政治家に

苦節十年の下積み生活を送っていた安倍さんですが、1993年ついに政治家になることになります。

しかしそれは残念ながら父安倍晋太郎さんが二年前の1991年に亡くなっていたことがきっかけでした。

第四十回衆議院議員総選挙において山口一区(のちに四区にくら替え)に父晋太郎さんの地盤を引き継いで望みますが、さすがにあの安倍晋太郎のおひざ元、当然のごとく当選します。このとき38歳。

この時に政治家になった同期として、浜田靖一(浜田幸一の長男)、田中真紀子(田中角栄の長女)、塩崎恭久(二世議員でのちの官房長官)、岸田文雄(閣僚経験者で現在の自民党政調会長、三世議員)などがおり、強力な親をもち安倍さんと近い境遇の方達が国会議員になっていますね。

長い下積み生活だったわけですが、政治家の秘書というのは実務型と政治家になる前にある程度現職の有力議員への顔見せ・パイプ作りのための予備軍と二種類あり、すでに一年目からその存在は知れ渡っていたことでしょう。

この長い経験も仲間づくりには役立ったのではないかと推測できます。

自民党が初の野党に

ただ安倍さんが念願の国会議員となった1993年の総選挙は自民党が1955年の結党以来初めて野党に転落したきっかけとなりました。

羽田孜(はたつとむ:後の第80代内閣総理大臣)さんのグループなどが選挙前に自民党から離脱し新生党を結成、結局自民党は過半数を維持することが出来なくなり、安倍さんは野党議員としてそのキャリアをスタートしています(厳密に言えば一瞬だけ与党だったかもしれません)。

結局、社会民主党を中心とする連立内閣が成立し細川護熙(ほそかわもりひろ)内閣が成立しています。

この時の連立政権の内訳を今になって振り返ってみると、なんと日本社会党(社会党)が連立政権の約四割にあたる146議席(衆議院75、参議院71)をもっていたことは驚きですね。

現在社民党の流れをくむ社会民主党(社民党)が風前の灯火ということを考えると、隔世の感があります。(確認のために調べなおして思い出しましたが社会党ものちに分裂して民主党などに大部分が流れていっていますね。二十数年も前なので忘れてました)

連立政権には社会党の他に、公明党、羽田さん率いる新生党、細川さん率いる日本新党、民社党、新党さきがけなどが参加していますね。

このあたりは懐かしい感じがしますが、当時二十歳ぐらいだった僕にとっては正直なところ”各党がどんなイデオロギーで動いているのかよく分からん”、”とりあえず自民党の長期支配による閉塞感を脱却したほうがいい”という印象でしたね。

ただこの連立政権ですがのちに羽田内閣が二か月だけ誕生したものの、長続きせず約一年半、1994年に自民党は(連立)与党として復活しています。

この自民党が下野している時期に安倍さんは超党派でつくるグループ”リベラル政権を創る会“に参加しています。

もしかしたらいきなり与党の国会議員なって日々の業務に忙殺されることなく横のつながりを強化できたことが後にプラスになったのかもしれませんね。

初入閣

自民党総裁選で敗れれるも小泉純一郎を支持

1994年に自民党が与党に復帰した後は

  • 村山富市(1994-1996)
  • 橋本龍太郎(1996-1996、1996-1998)
  • 小渕恵三(1998-2000)
  • 森喜朗(2000-2000、2000-2001)
  • 小泉純一郎(2001-2003、2003-2005、2005-2006)

の各政権が誕生しています。

この中で安倍さんが存在感を示し始めたは1995年(41歳の頃)の自民党総裁選あたりで、敗れはしたものの派閥を持たず”変人”(確かのちに田中真紀子さんが命名?)と言われ小泉純一郎さんを若手グループのリーダーとして推薦しています

結局、この時の総裁選は旧自民党体制の流れをくむ、実力者で人気もあった橋本龍太郎さんが勝利をしましたが、小泉さんとともに安倍さんの名前が少しづつ世間(僕のような当時政治に興味がなかった人間)に認知されはじめた頃ですね。

当時の世相を振り返ると、長年にわたる自民党支配や党内の派閥争い、金丸信さんなど表舞台に出てこない人物の暗躍などの政治のブラックボックスぶりに、世間はウンザリしていたという雰囲気がありました。

当時の自民党の主力派からは間違いなく睨まれたでしょうが、この総裁選が小泉さんと安倍さんとの距離を縮めたのではないのでしょうか。

このあたりの関係性はマンガ島耕作シリーズの中沢部長と島耕作の関係によく似ていますが、そう言えば中沢部長の顔は小泉さんによく似ていますね(笑)。

北朝鮮による拉致被害者帰国問題に携わる

安倍さんが推していた小泉さんが1995年の総裁選で敗れたことで、少し党内での立ち位置が悪くなりつつなりますが、2000年に成立した第二次森喜朗内閣によって安倍さんは内閣官房副長官に任命されます。

これには森さんを支持していた小泉さんの推薦があったようですが、当時46歳、心身ともに充実していた時期ですね。次の小泉純一郎第一次内閣でも再任されます。

そして思い出されるのは第一次小泉内閣時の北朝鮮の拉致被害者の帰国という大きな出来事です。

現役総理大臣が北朝鮮に直接乗り込んで交渉し、実際に拉致被害者を連れて帰る(当時はその存在はささやかれていたものの実際に拉致されているという事実はあくまで推測の域をでないという感じでした)というのはかなりインパクトがあり、連日テレビをはじめとするメディアを騒がせました。

安倍さんも北朝鮮に随行しており、この出来事により露出や存在感も再び上がりはじめたという記憶があります。

そして党内での評価が上がったことや小泉さんの後押しもあったことにより自民党の幹事長に就任しています

閣僚、党の要職未経験者の抜擢は当時の自民党としては異例の人事だったようですが、”古い自民党をぶっ壊す”という小泉さんの狙いもあったでしょう。

実際に安倍べさんはその期待に応えて党内の改革に取り組んでおり、候補者の一部公募制や餅代(選挙資金を党から候補者に配る)という習慣を廃止しています

内閣官房長官就任

そして2005年10月、小泉純一郎第三次内閣において安倍さんは内閣官房長官に指名されます

初当選から十年目、51歳にしての初入閣となったわけですが、自分が年をとってみるとかなり若い時期に閣僚の中でも要職である官房長官になっているなという印象がありますね。

年齢的に考えると当時の小泉さんは60歳なので、次のリーダーとしてのお披露目や意思表示という意味あいもあったかもしれません。

官房長官というのは日本においては政府の広報官的な仕事でもあるので、よほど政治に疎い人でも顔だけは見たことあるという状態になったことでしょう。

スポンサーリンク


ついに内閣総理大臣へ

第90代内閣総理大臣安倍晋三誕生

官房長官に指名されてから約十一カ月後の2006年9月、小泉さんの自民党総裁の任期満了にともなう総裁選が開催されます。

自民党総裁になるということは次の内閣総理大臣になるということなので世間から注目を集めますが、麻生太郎(1940年生まれ)、谷垣禎一(1945年生まれ)、安倍晋三(1954年生まれ)の三人が立候補し、安倍さんが大差で他の二人を破ります。

党内の派閥争いはあったと思いますが、小泉政権下での実績や、安倍さんの人柄などの他に、構造改革により良くも悪くも日本を”破壊”したあとの政権は、若い発想力による新しい価値観や社会の構築が求められているという潜在的な要望はあったことでしょう。

また当時を振り返ると小泉純一郎さんの行った改革はのちに一部が批判を浴びているものの、退陣時点でも小泉さんの人気はすさまじく、小泉純一郎から安倍晋三への政権の禅譲は当然という流れではありました。

2006年9月26日、ついに臨時国会で安倍さんは内閣総理大臣に指名され、第90代内閣総理大臣安倍晋三が誕生します

この時安倍さんは52歳戦後最年少であり、初の戦後生まれの内閣総理大臣の誕生です。

安倍家三代の悲願を達成し、先代晋太郎さんの無念をついに晴らします。

「美しい国」づくり

ついに総理大臣となった安倍さんですが、この内閣が主に行ったことは小泉さんが進めた”構造改革”の継続とそれに伴う社会システムの再構築でした。

小泉さんの構造改革などにより派遣社員や雇止めが増え、社会は大企業にとっては優しく社会的弱者にとっては厳しい世の中になったのは間違いないのですが、個人的にはこの流れはリーマンショックなどから経済を立て直すためには仕方がなかったのではないかと感じます。

僕はどちらかと言えば恩恵というよりは被害を受けた側だったのですが、時代の流れというか、遅かれ早かれこういう時代は訪れていたと思うので恨みなどはありません。

それほど当時の日本の経済状況はやばい状況だったと思います。

そして安倍さんが第一次安倍政権下で提唱していたのが「美しい国」というキャッチフレーズでしたね。

この記事を書くためにウラ取り・確認作業などをしていてさっき思い出した(笑)このキャッチフレーズですが、今思い返すと”あれ、なんだったろうな?”というのが今となっての感想です。

元々タカ派と言われた安倍さんのことだから、日本人的な価値観を再認識しそれを世界に発信する、アメリカなどに頼らない独立した日本、近隣諸国に言うべき時にはしっかりと発言をする、という内容だったと個人的には解釈しています。

ただ、まぁとにかく抽象的過ぎた言葉だったので世間に響いてなかったような気がしますね。

このようなことを掲げながら頑張っていた安倍内閣ですが、約一年後の2007年安倍さんは病気を理由に総理大臣を突然辞任します

潰瘍性大腸炎

念願の内閣総理大臣に就任した安倍さんでしたが、第一次安倍政権の寿命はわずか一年でした。

しかも辞任の理由が病気ということも衝撃でしたが、当時を振り返ると、就任一年の間に松岡利勝農林水産大臣の自殺や参議院選挙での自民党の敗北など安倍政権にとっては向かい風が強かったのは事実でした。

おそらくですが、内容はともかく何をやっても、何を言っても絵になる、”魅せる”タイプの小泉純一郎から、どことなく”面白味に欠ける”印象を受ける安倍晋三への交代は国民にとっては政治的に”退屈”な印象を与えたような気がします。

それが徐々に政権への批判に傾いてきたのですが、そういった流れの中での潰瘍性大腸炎の公表と辞任でした。

このニュースを聞いた時僕も含めて批判に耐えきれず安倍さんが体調を崩したと感じたことは多いと思いますが、実はこの潰瘍性大腸炎というのは厚生労働省から特定疾患に指定されている難病のようです。

“大腸炎”というキーワードがどうしても強いので大したことないようには感じてしまいますが、心労とともに元々抱えていた持病に心身が耐えられなくなったのがおそらく辞任の理由でしょう。

奥さんの昭恵さんによると元々この病気を安倍さんは患っていたそうで、公表されていなかっただけのようです。

この第一次安倍政権ですが、個人的に振り返ってみると、なんだか地味な感じのする政権で、安倍さんの印象は真面目そうで何となく面白くない人というイメージでした。

まぁ、それはどうしても前述のとおり小泉さんの印象が強すぎたのが原因なんですがね・・・

東日本大震災の時に独自でボランティア活動

2007年、わずか一年で総理大臣を辞任した安倍さんですがその後は以下の方達が内閣総理大臣を務めています。

  • 福田康夫(2007-2008:第91代)
  • 麻生太郎(2008-2009:第92代)
  • 鳩山由紀夫(2009-2010:第93代)※民主党
  • 菅直人(2010-2011:第94代)※民主党
  • 野田佳彦(2011-2012:第95代)※民主党

安倍さん辞任後は2009年から三年間民主党が政権を奪取するといった出来事もありましたが、政局とは別に2011年にはあの東日本大震災が起こっています

民主党が政権を握っている時であり、その対応に批判が集まりましたが、その時一国会議員だった安倍さんが世耕弘成(せこうしげなり)議員と秘書数名だけを引き連れてSPも連れずに福島に救援物資を届けたのは有名な話ですね。

どこかの国会議員や党首のようにメディアを引き連れてない善意の行動には心打たれます。

世耕さんの表情が単なるパフォーマンスではないことを物語っていますね(笑)。

またこれらの写真は元々地元の方々が独自に取った写真でそれが後になって出てきたもので、安倍さんたちは一度もこれについて言及していなかったそうです。

芸人のエガちゃんたちと同じく、こっそりとボランティアをしていたのが後になって分かったというパターンです。

スポンサーリンク


二度目の内閣総理大臣に

一度目の安倍総理大臣の印象は他の総理大臣同様、地味で目立たないものでした。

強いて言うなら、偉ぶるわけでもなく、冗談も言わないイメージだったので”真面目かよ!”という感じだったんですが、おそらくこれが安倍晋三という人の本質なんだと思います。

そんな”面白くない”安倍さんでしたが、一回目の総理辞任後から五年後の2012年再び表舞台に戻ってきます。

当時の自民党総裁だった谷垣禎一さんの任期満了にともなって行われた2012年9月の総裁選では、石破茂石原伸晃の両氏と争い一回目の投票では石破に次ぐ二位に終わりながら、過半数に届かなかったために再度行われた二回目の投票で石破さんを抜き、見事総裁の座に射止めています

一度辞任した総裁が間をおいて再任したのは自民党史上初めてのようで、決選投票で逆転したのも初めてということです。

当時は”軍事オタク”として中々面白いキャラクターだと思っていた石破さんが僕も何となく面白いとは感じていたのですが、中々クセは強い人なので、このあたりが一部議員から支持が得られなかった理由なのかもしれません。

この選挙では麻生派や高村派の支持も大きかったのでしょうが、民意を反映したはずの民主党政権が実際いざ誕生してみると実行力に乏しく有事に対してまったく機能しなかったという事実が、国民への反省にもつながり、”もう一度安倍さんに総理をやらしてみれば?”という流れになっていたという感じもしますし、実際のところ自民党、しいては日本にこの難局を乗り切るだけの人材がいなかったという気もしますね。

当然ですが、安倍さんの自民党内での人望もあってのことでしょう。

そして安倍総裁として挑んだ2012年12月の第46回衆議院議員総選挙において自民党が圧勝し、安倍さんが二度目の内閣総理大臣に就任します。

第96代内閣総理大臣安倍晋三の誕生です

そして現在

史上最長在職記録

2012年に自身二度目の総理大臣になった安倍さんですが、2020年4月現在の安倍内閣は第四次内閣となります。

  • 第96代内閣総理大臣(第二次安倍内閣)・・・2012年12月~2014年12月
  • 第97代内閣総理大臣(第三次安倍内閣)・・・2014年12月~2017年11月
  • 第98代内閣総理大臣(第四次安倍内閣)・・・2017年11月~現在

世間からすれば”二次、や三次とか、内閣改造なんか知らんがな!”という声も聞こえてきそうですが在位期間はすでに3000日を超えており、これは1900年代初頭に総理大臣を務めた桂太郎の2886日、安倍さんの大叔父である佐藤栄作の2798日を上回る内閣総理大臣の最長在職記録になります。

様々な難問をいかに解決するか?

一回目の総理大臣の時と比べて、現在の安倍さんは圧倒的な存在感を放っている印象もあるわけですが、人類の歴史を振り返るとトップの人間がクローズアップされる時は社会に何か劇的な変化があった時か、国を揺るがす危機があった時です。

外交や領土問題では中国や韓国・北朝鮮との問題、社会的には今世界中で新型コロナウイルスの問題でもちきりで、各国でその対応に四苦八苦しています。

日本の対応は若干スピード感に欠ける印象はあるものの、一手先、二手先を見据えた対応ができており、他の先進国に比べるとまだ深刻な状況に陥ってないように感じます。

森友問題や桜を見る会などの問題にについては、個人的にはそもそも疑惑にするほどの内容かも怪しく、小事に過ぎない問題と感じるのですが、ここまでの安倍さんの歴史を振り返れると、聞く耳を持ちながらも決断力を持ち合わせた政治家という印象を受けます。

今でも”面白みに欠ける”、”まじめで退屈な人間”というのが僕の安倍さんに対する評価なわけで、また自民党を能動的に支持しているわけではない(そう言えば選挙で自民党にあまり入れたことがない)のですが、かと言って安倍さんや自民党を不支持かというとそういうわけでもありません。

平時には凡庸な政治家なのかもしれませんが、有事には”実直な政治家”として結果を残せるタイプだと思うので、今回は与野党が団結して世界的な危機を乗り切ることを期待します。

安倍さんガンバレ!

安倍晋三トリビア

  • 「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングのコーナーに出演した経験がある。(2014年3月21日。紹介したのはシンガーソングライターの小沢健二で「笑っていいとも!」が終了する十日前)
  • 「たかじんのそこまで言って委員会」に在任中も含めて十数回出演している。(やしきたかじんの意向により意図的に関東圏で放送が行われなかった同番組ですが、普通のゲストとして出演し、他のゲスト達と意見をぶつけ合っていました)
  • 大学時代はアーチェリー部に所属しており、特技はアーチェリー。(ただし補欠だった模様)
  • アンチ巨人ファン
  • 「晋三」という名前は長州(山口)が産んだ幕末志士高杉晋作から来ている
  • 同郷の吉田松陰やかつて使えた小泉・森元総理大臣を尊敬している

スポンサーリンク

フォローする

関連記事

コメントの入力は終了しました。