センゴクこと「仙石秀久」は生粋のジェットコースター野郎:おもしろ戦国武将列伝(3)

おもしろ戦国武将シリーズ第三弾は週刊ヤングマガジン(講談社)で連載中のマンガ「センゴク」で一気に知名度を上げた仙石秀久(せんごく ひでひさ)についてです。

仙石秀久

日本を問わず古今東西の歴史上人物はたくさんいますが、10年前はよっぽどのもの好きしか知らなかった人物が、大河ドラマや小説、マンガなどの影響で一気に世間的知名度を上げたり、急に高評価を得たりするパターンがあると思いますが、最近では大河ドラマで題材となった黒田官兵衛なんかがいい例でしょう。

また、最近の評価逆転パターンでは石田三成なんかが昔の頭でっかちの官僚的なイメージから、最近は義理堅い武将として再評価の流れを感じたりもしますね。

そんな中、最近はマンガの影響で男子中学生から大人の間で一気に知名度を上げているマンガ「センゴク」のモデル仙石秀久をクローズアップしてみることにしました。

ちなみに僕の当初の彼についてのイメージですが、人気歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」シリーズ(KOEI)でとりあえず前々から名前は知っていましたが、どちらかと言えばマイナー武将なので、淡路島の武将というイメージしかありませんでした。

マンガ「センゴク」で活躍する仙石秀久とは一体どういった人物だったのでしょうか。

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秀吉最古参の武将

仙石秀久は1552年、当時信長の義父であり”マムシ”として有名だった斎藤道三が治めていた美濃(現在の岐阜県あたり)に生まれていますが、仙石家は当時没落していたようであまり出自としては高い身分ではなかったようです。

秀久が歴史上にその名を現し始めたのは1567年頃だったようですが、斎藤氏(道三の息子龍興)が織田信長に敗れたあとは他の有力武将と同様、彼の配下となっています。

まぁ統治者が変わっているので当然の流れですね。

また、当時秀久は14歳だったのでペーペーもペーペー、ただの血気盛んな若者だったので織田信長の配下にはなったものの、豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)の馬廻り衆として預けられています。

恐らくですが、美濃の誰か有力武将の紹介で”ウチの村にはこんな有望な若者がいます”と信長に紹介したところ、”よし、お前を雇ってやろう。じゃ猿(秀吉)、お前が面倒見ろ”

という流れだったのが想像できます。

秀吉のエピソードとして有名な墨俣の一夜城が1566年なので、まだまだ秀吉が活躍し始めたばかり(秀吉は当時29歳ぐらい)でまさしく初期の部下というのがよく分かります。(はじめての部下という書き方をしているサイトもいますが、個人的にはあくまで初期の部下と考えたほうが自然だと思います)

秀吉の躍進とともに出世

秀久が秀吉に仕えた後は、ご存知のように秀吉がさまざまな場所で大活躍しますので、馬廻りからスタートした秀久もほとんどの戦いに参戦して活躍しており、1574年頃には近江に1000石を与えられ念願の領主となっています。

このあたりは裸一貫からスタートした会社が一部上場するまでに発展したので、創業時から仕えていた身分としては当然の流れでしょうね。

信長が本能寺の変(1582年)で死んだあと、秀吉軍とライバル柴田勝家の間で有名な賤ヶ岳の戦いが行われていますが、当初12番隊の隊長を任されるぐらいだったので、秀吉麾下の中でも幹部クラスだったのは間違いないでしょう。

結局この戦いには参戦せず、四国の長宗我部元親の抑えとして四国に渡っていますが、秀吉も後ろをつかれると拙かったはずなので、かなりの信頼を置かれていたはずです。

結局この段階では四国は平定できずに淡路島を切り取っただけだったようですが、この功績により淡路島(淡路国)5万石を与えられています。

当時1583年、仙石秀久はついに大名となるわけです。(僕が知っていたいたのはまさにこのあたりですね。)

四国平定

1583年秀久は念願の大名になり淡路の殿様になったわけですが、まだ四国の平定は終わっていません。

秀吉が賤ヶ岳の戦いで柴田勝家に勝利したあとは、信長の後継者として無事その立場を世間に知らしめることに成功したのですが、いよいよ本隊が動き出します。

弟の羽柴秀長や中国地方の覇者毛利軍団からは小早川隆景、吉川吉長、これに近畿西部の有力大名宇喜多秀家などそうそうたるメンツが参戦してきますが、おそらくこの時は淡路島は要所だったでしょうから、前線基地としての役目を果たしたのでしょうね。

秀久も平定に参加しており新たに讃岐国の一部(10,000万石)を与えられています。(平定の対象となった四国は長宗我部元親に20万石が残された以外は、参戦した大名などに与えられています)

そして1585年、四国を平定した後は九州となるわけですが、いよいよジェットコースターは山場に来ます。

”大名”仙石秀久 九州でやらかして無一文

さあ、次は九州となったわけですが、仙石秀久ここでやらかします。

※ここからはマンガ「センゴク」で現在連載中の内容ですのでネタバレになります。先を知りたくない方はここで読むのを辞めたほうがいいと思います。

1586年に秀吉は四国勢を中心とした先発隊を九州に送りこみますが、ターゲットは九州南部の雄島津氏です。

先発部隊は長宗我部元親ならびに十河存保を中心とした部隊に九州の親豊臣方の大名である大友氏、これを統括する形で仙石秀久の部隊で構成されていたわけですが、実はこの部隊はハッキリ言って寄せ集めです。

元々長宗我部氏と十河(そごう)氏というのは四国で争っていた相手なので、うまく連携が取れるはずがありませんし、下手をすると一触即発でしょう。

大友氏にしても現地採用みたいなものなので当てになりません。

当然秀吉としても誰か信用できる人間に任せないといけないので、信頼の厚い秀久が軍艦(本社から送り込まれてきたスーパーバイザーみたいなものですね)として組織されていたわけですが、秀吉の指示もとりあえず本体が来るまで待っとけという指示だったようです。

まぁ言うなれば、四国の時と同じように前線基地を作ってそこから攻めようとしてたわけでしょう。

秀吉軍団本隊も各地を転戦転戦では新しい領地の運営に力を割けませんので、その時間稼ぎを任されたわけです。

ただ、仙石秀久、ここで一世一代の大失敗。

島津軍団とバチバチの大戦闘。四国平定の時と同じように中国地方の小早川、吉川の両川が参戦予定だったようですが、それを待たずに開戦(笑)。

今でこそ島津家と言えば、戦国末期でも中々の武闘派として鳴らした大名として有名ですが、中央のイケイケ成り上がり軍団の支部長仙石秀久としては、しょせん相手は地方の田舎侍と油断もあったでしょうね。

長宗我部元親の嫡男長宗我部信親および十河家の当主十河存保が戦死し、大敗します。

そして肝心の仙石秀久の部隊ですが、3000名いた自分の兵士を残して20名の家臣だけを伴って一目散に四国に逃げ帰ります。

そうです、これから九州に拠点を構えて大攻勢に出ようとした、先発隊の頭が独断専行した上でまさかのトンズラをしてしまったわけです。

その結果どうなったか?

辞令:以下のものを下記の処遇とする

仙石秀久はクビ!

高野山へ追放ね(ハート)

BY 豊臣秀吉

これから四国と同じような方法で九州を物量作戦で刈り取るだけだったんですが、責任者秀久は命令に従わなかった上に、結果戦死者多数、しかも部下を見捨てて逃走という三倍満のような大失敗を犯し、最古参の部下とは言え、秀吉もさすがにぶち切れてしまったわけです。

ただ、秀吉の晩年の千利休や甥秀次の処刑など厳しさを考えると、殺されなかっただけましとも言えるかもしれませんね。

このように順調に大大名へ登りつめようとしていた仙石秀久ですが、領地を没収された上追放となり、ほとんど無一文状態になってしまいます。

当時秀久34歳。武将として真っ盛りな時期に家族を抱えて無職の状態になってしまいます。

秀久再始動!鈴をつけてジャラジャラ戦う

さて1586年に九州遠征の失敗の責任を取って高野山に追放となった秀久ですが、しばらく高野山や都である京都でプラプラしていたようですが、4年後の1590年絶好の機会が訪れます。秀吉の関東遠征です。

俗にいう小田原征伐ですが、秀久の大失敗により九州征伐の出鼻はくじかれましたが、その後本体の西進により西日本を平定したあと残るは、北条氏の治める関東だけです。

当時の立身出世を志す武将や大名にとっては、最後の大戦となる舞台です。

秀久も成り上がるには最後の機会ですが、追放された身としては秀吉のところにまっすぐ行くわけには行きません。

そこで秀久は東海の雄にして豊臣政権の重役徳川家康に接近したわけですが、その姿は異様であり、

糟尾の兜と白練りに日の丸を付けた陣羽織を着て、紺地に無の字を白く出した馬印を眞先に押し立て、手勢を率いて諸軍の先に進んだといわれている。さらに敵兵を引き付ける為に鈴を陣羽織一面に縫いつけるという際立つ格好をして合戦に参加したという逸話も残されており、「鈴鳴り武者」の異名をとったと伝えられる。(Wikipediaより)

まさしく傾奇者の恰好であり、並々ならぬ決意を感じますね。

この格好で20名の旧臣を引き連れて秀吉の元に現れ、家康のとりなしにより一軍に加わることを許されています。

元々秀吉も、最古参の武将である秀久のことをかなり目にかけていたはずですし、九州の失敗による追放も組織の体裁を守らなければいけなかったので、秀吉としてもチャンスを与える機会ができてうれしかったことでしょう。

※長くなったの明日に続きますが、真っ逆さまに落ちたジェットコースター、また上に昇っていきます。