実は優しい人情家?「織田信長」: おもしろ戦国武将列伝(1)

織田信長

おそらく30代以上の年齢の男性陣に対して”あなたがやり込んだゲームは何ですか?”と質問すれば、間違いなく上位に入ってくるタイトルとして、「信長の野望」(光栄、現KOEI)が思いつきますが、僕も近所の友達の家のMSX(パソコンのことです:分かる人は結構年ですね(笑))で初めてプレイして以来、ファミコンやスーパーファミコンをはじめ、パソコンなどでもかなりやり込んだ思い出があります。

僕だけにとどまらず最近はすっかり市民権を得た歴女の方たちも、このゲームや関連作品のおかげで戦国時代に興味を持ち、ゲームで覚えた知識からさらに小説やインターネットでその造詣を深めていった方も多いでしょう。

僕も戦国時代に興味をもった入り口はやはりゲームだったわけですが、そんな無駄な知識を活かす場も最近はない(正直言うと記事のネタが思いつかなかっただけなんですが・・・)ので、今回から男ならみんな大好き戦国時代の武将にフォーカスして記事を書いていきたいと思います。

第一回目は日本人なら誰もが知っている戦国時代の第一の覇者、”鳴かぬなら殺してしまえホトトギス”の「織田信長」さんです。

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織田信長のプロフィール

1534年に織田信秀の長男として尾張(現在の愛知県)で生まれる。

若くして家督を継いだ後、東海地方の有力武将である今川義元を1560年”桶狭間の戦い”で破ったことで全国にその名を知らしめた後は、配下の柴田勝家や木下藤吉郎(豊臣秀吉)、明智光秀、また盟友徳川家康の活躍もあって、東海地方だけではなく、当時は都のあった京都を中心にほとんどの近畿地方の有力地域を支配下におさめる。

全国制覇まであと一歩となった1582年家臣明智光秀(黒幕については諸説あり)により本能寺にて討たれる。

以上簡単なプロフィールですが、父織田信秀は当時広義では戦国大名とは言えるものの、信長誕生時は立場上は守護の斯波(しば)氏に仕える家臣(一族)で単なる有力者の一人でした。

分かりやすく言うと大企業の下請中小企業の社長と言ったところでしょうか。

信秀の時代は北にマムシと呼ばれた斎藤道三、東に今川義元というくせ者ならびに室町時代から続く名門という、強力な勢力が控える中、経済力を活かして互角に立ち合っていましたが、あくまで地方の有力者に過ぎなかったので、あくまで現状維持というのが限界でした。

父信秀の死後、信長が家督を継ぎ、その後みなさんがご存知の快進撃を続けるわけですが、生い立ちをを考えると他の戦国武将ほど立場が恵まれていたわけではないわけで、あくまで信長の才覚によるところが大きかったわけです。

信長の功績・エピソード

柔軟で合理的な思考の持ち主だった

優れた武将を率いてライバルたちを倒していったイメージのある信長ですが、ただの戦上手だたわけではなく、様々な発明や改革を行った時代の革命児でした。

実際には行ったことすべてが信長が初めて思いついたというわけではありませんが、一部の地域や武将が行っていたことを、既存概念にとらわれず柔軟な思考でどんどん採用していったと言えます。

鉄砲の実戦投入

武田氏を滅ぼした長篠の戦での鉄砲の三段構えが有名ですが、他にも鉄砲を導入していた大名もいたとは思うものの、名門武田氏を破るというセンセーショナルな事件だっただけに、全国的な影響力は高かったでしょう。

その後大筒の導入や鉄工船の開発など、戦の仕方をドンドンと変えていきます。

楽市楽座の導入

いわゆる商業の自由化です。

当時座と呼ばれる組合に守られていた商人の既得権益を廃止し、だれでも自由に商売が始められるようにしたのが楽市楽座の制度です。

分かりやすく言うと農業を始めるのに農協に入る必要がなくしたようなイメージですなんですが、こうやって古い慣習やしがらみを破壊することで、新しい職種や商品・サービスなどが生まれたことが容易に想像することができます。

この楽市楽座という制度、元々は父信秀時代にすでに尾張をはじめとして、他のいくつかの一部地域で導入されていたようです。

関所の廃止

関所があるメリットとして、通行料収入が見込めることや、不審人物のチェックなどが挙げられますが、信長はこれを廃止しています。

関所を廃止することにより自由に人間が出入りできるようになり、楽市楽座と合せて商業発展に寄与したと言われていますが、例えるとするならば高速道路の料金所が無料になったような感じでしょうか。当然人の往来が圧倒的に増えたのは間違いないでしょう。

当然関所を廃止すると、他国の間者などが入り込み、自国の情報が筒抜けになるというデメリットも大きいでしょうが、メリット・デメリットを考えた場合メリットのほうが大きいと感じたのでしょう。

この楽市楽座と関所の廃止により流通面で革命を起こしたと言え、元々海に面しており海外との交易も起こないやすかった尾張が商業地としても発展し、戦を続けられるだけの体力も生み出していったのでしょう。

このあたりは素晴らしい内政手腕と言えます。

兵農分離

戦国時代に関わらず中世の戦争と言えば、現代的な戦争のイメージから専業の兵士が直接戦うというイメージを想像しがちですが、実際この時代は平時は自分の土地で畑や米を耕しているの領地の農民が、戦争が起こりそうだという段階になって地元の有力者から召集をかけられ、いくさに駆り出されていたことがほとんどです。

そのため収穫時に戦争が起こることは人手が奪われるため、領民だけでなく治める側からしても恨みを買うわけでかなりの痛手であり、当然人間も集まりにくくなります。

また、その戦争の規模が大きくなればなるほどその遠征距離も増えるため問題が生じてしまいます。

それを解決したのが兵農分離であり、兵士=領地の農民だったいくさの形を専業の兵士(職業軍人ですね)を用意することにより、安定した領土の経営システムを構築したと言えます。

※ただし実際には信長この兵農分離をしっかりと進めたことを証明する文書などは少なく、おそらく自分の周りの親衛隊や京などに滞在時の治安活動を行う信長周辺の部隊のみが専用の兵士だったのではないかと僕は推測しています。

信長が兵農分離を行っていないという意見もありますが、個人的には信長の活躍期にはかつての戦争や大名にに比べて戦争の規模や領土も大きくなっているので、間違いはないと思います。

おそらくこのスタイルが江戸時代の士農工商の身分制度につながったのでしょう。

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 激情家・冷徹?それともブレない合理主義者か

あまり歴史に興味のない方の世間的織田信長のイメージとして多いのは、明智光秀に対するパワハラや、比叡山焼き討ちや長島一向一揆に対する皆殺しなど上記にあげた功績の反面、かなり怖い人というイメージだと思います。

他にも尾張時代から家臣として自分を支えてきてくれた家臣の佐久間信盛や林秀貞、安藤守就などを突然追放するなど一見ドライともとれる人事を行っています。

しかしながらある程度歴史好きな方ならご存知だと思いますが、これらの行動にはある程度しょうがないと感じさせられるような理由も見当たります。

例えば比叡山の焼き討ちなどに関しては僧侶だけでなく女子供まですべて皆殺しにされたとされていますが、当時女人禁制で修業に研鑽すべき僧侶たちが、酒色に溺れるだけでなく信長などの勢力に対して軍事的影響力をもつほど武装化していたと言われています。

おそらく見せしめ的な要素も多分にあるとは感じますが、実際に信長はキリスト教の布教活動を認めたり他の寺社仏閣に対して保護や援助を行っているので、宗教弾圧ではなくあくまで敵対勢力の掃討が目的だったのでしょう。

このあたりは現在のアメリカを中心とした欧州とアルカイダをはじめとするイスラム教のテロ組織の壊滅作戦に近い感じがします。

中途半端にやっつけたのでは大元を絶てないと考えたのではないでしょうか。

また、林秀貞などの高齢になってからの追放劇なども一見非常に見えますが、彼は信長がまだ家督を継いだばかりで領土経営が安定しない頃、弟信行の家臣として信長の暗殺計画に加担していた過去があります。

かつて秀貞はこれを許されて長年筆頭格の家老として仕えてきたわけですが、最終的には結果を残した勝家や光秀や秀吉と違い、目に見えた結果を残せなかったことを考えると、よく我慢して使ってくれたとみることもできます。

文面だけ見ると会社で態度だけでかい使えないお荷物をリストラしただけともとらえられます。

農民の出の秀吉を軍団長まで引き上げたのは実力を認めたからで、宣教師の召使であった黒人の弥助を自分の家臣に取り立てるなど、先入観にとらわれない考え方は当時ではかなり異端であり、実力主義を実行した優秀な経営者と言えるかもしれません。

地球が丸いということをその場で理解したというエピソードなどからも、かなり合理的な考え方の出来る人物だったことは間違いないでしょう。

このように信長という人物はすべて合理的という言葉で説明が出来てしまうわけです。

実は優しい信長さん

さて、ここまで織田信長という人物をみていくとカリスマ政治家や敵対する勢力は神様だろうがぶっ叩く、そして完全実力主義と中々近寄りがたいエピソードが沢山あります。

実際には家臣団から畏敬の念で見られていたようですが、優しいエピソードもたくさんあります。

秀吉の奥さんにお礼と慰めの手紙

これは信長が秀吉の正室である寧々(ねね)に送った手紙の内容なのですが、ある時信長は自分を訪ねてきたねねに対してお礼の手紙を送っています。

その内容が紳士的であり素晴らしいのですが、信長を訪ねてきた寧々ですが、どうも信長に秀吉が浮気ばかりしていることを訴えにきていたようなんですが、手紙の内容をざっくり説明すると

この前はわざわざ会いに来てくれてありがとう。素晴らしいお土産の数々は大変ありがたかったけど素晴らし過ぎて今回は僕は何を送っていいか思いつきません。またよかったら会いに来てくれた時にでも渡します。

そして以前にもましてきれいになっていてビックリしたけど、君がそんなに美しいのに禿げネズミ(秀吉)のアホが浮気ばかりしているのはホントけしからんし、君みたいな奥さんを秀吉が見つけることはもうできないだろうね。

あとアドバイスしておくと、君はしっかりとした奥さんなんだからヤキモキせずにどんと構えておきなさい。また言いたいことがあっても全部は言わず、まずは呑み込んでから物を言うといいと思う。

あ、そうそう、この手紙はしっかり秀吉に見せておくといいよ。

信長 (天下布武の印鑑付き:つまり公文書)

といった内容なんですが、紳士的過ぎて惚れてしまいます(笑)

あのカリスマ信長が配下の武将の奥さんと会っていることさえ驚きなのですが、気づかいのできる男だということが見て取れますね。

元々若い頃は城下町にお忍びで散策したり、部下や領民と気さくに会話したりすることもあったと言われる信長ですが、おそらく寧々を始めとして配下の武将の家庭の面倒まで見ていたという野は人間臭くもあり、好感がもてます。

ドラスティックな改革や人事、合理的な発想力・決断などが注目される織田信長という人物ですが、こういった人情味あふれるエピソードなど僕はとても大好きな武将です。