最近は忍者も人手不足
身の回りではちっとも景気のいい話は聞かない中、新卒求人の有効倍率は非常に高く超買い手市場なようで、団塊ジュニア世代で節目節目の時期に不景気が少なくとも二度あった身としては、世代間格差を何とかしたほうがいいと思う今日この頃ですが、最近忍者も人手が足らないという面白いネタ系ニュースを見かけました。
ネタ系のサイトなので真偽のほどは不明なところですが、確かに「忍者 求人」などで検索をかけると400万件以上HITして、中にはしっかりとしたサイトを用意している団体などもありますね。
中には月給○○円と具体的な金額を書いていたりしている求人票もあったりするなど、職種のとして存在することにはちょっと笑ってしまいますが、募集している団体のサイトなどを色々見て回ると、2年後の2020年に行われる東京オリンピックなどに関連して、外国人観光客などを狙ったものもあるようで、色々な仕事があるなぁと改めて感じてしまいます。
そこで今回はこの忍者、かつては戦国の世で暗躍したと言われ、中二病や特に海外のファンを煽る存在ではありますが、どんな流派があったのか調べてみることにしました。
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伊賀(いが)
有名な忍者:服部半蔵正成、百地三太夫
忍者と聞いて日本人がまず思い浮かべる流派と言えばやはり伊賀の忍(しのび)でしょう。
とくに有名なのが徳川家康に仕えたと言われる”鬼の半蔵”こと服部半蔵正成(はっとりはんぞう・まさしげ)ですが、本能寺の変の時の”伊賀越え”などの時に活躍したと言われており、家康の警護において絶大な活躍をしたと言われています。
元々は伊賀国(現在の三重県)発祥の忍者集団ですが、現在もその名が知られているのは正成や家康のおかげでしょう。
ちなみに服部半蔵という名前は代々受け継がれている名前であり、偉大な正成の息子の服部半蔵正就(まさなり:もしくは まさしげ)はあまりいいエピソードがありませんね。
世間のイメージだとやっぱり伊賀=服部ですが、伊賀の上忍三家には「服部」、「百地」、「藤林」が存在し、百地三太夫(ももちさんだゆう)は天正伊賀の乱で織田信長軍を存分に苦しめたことで有名ですね。
ちなみに大盗賊として有名な石川五右衛門(いしかわごえもん)は百地三太夫の弟子とも言われていますね。
甲賀(こうが・こうか)
伊賀とワンセットで語られることの多い甲賀ですが、”こうが”ではなく実際は”こうか”というのが正しい名称だそうです。(ただし一般的には”こうが”として広く知れ渡っているのでこちらで表記しいます)
現代だけではなく、昔から伊賀のライバル集団として創作物などで描かれることの多いので知名度としては伊賀に次ぐ集団と言えます。
ただ、伊賀と山を挟んだ近江国(現在の滋賀県)甲賀に存在した集団だと言われていますが、伊賀のように単独の流派ではなく、実際は忍者であったことすら怪しいと言われているようで、服部半蔵が伊賀や甲賀を率いたという表現や、そこまで名の通った忍びがいないとなると、もしかしたら諜報活動を行った集団の総称といった捉え方が正確なのかもしれませんね。
風魔(ふうま)
有名な忍者:風魔小太郎
忍者としての存在が怪しい甲賀に対して風魔は関東の北条氏お抱えの乱破(らっぱ:諜報活動や破壊活動を専門に行う人)として名前が知られていますが、アラフォー男性は車田正美先生のマンガ「風魔の小次郎」のおかげでご存知の方も多いでしょう。
ただ、実際の風魔は、頭領が代々風魔小太郎(ふうまこたろう)を名乗ったと言われていますが、豊臣秀吉の小田原征伐による北条氏滅亡後は完全に衰退し、江戸時代は盗賊として江戸の街を荒らしまわったのが風魔の残党と言われており、どちらかと言えばならず者の集団だったのかもしれませんね。
甲斐透波(かいすっぱ)
武田信玄が組織化して本格的に体系化した忍者集団が(甲斐)透波と言われています。
元々甲斐以西では忍者のことを透波(すっぱ)といい東では乱破(らっぱ)といいますが、甲斐透波は信玄が独自に組織したようで、変装して諜報活動や調略活動を行った集団であり、ステレオタイプな手裏剣を投げたりするイリュージョニストというよりも現代的なスパイの人たちのほうがイメージとしては正確なのも知れません。
くのいちも言ってしまえばハニートラップですからね(笑)
雑賀衆(さいかしゅう・さいがしゅう)
有名な忍者:雑賀孫一(鈴木重秀?)
一般的な黒装束などのイメージの忍者とは違うかもしれませんが、伊賀や甲賀とならんで有名だった忍者が紀伊(現在の和歌山県)の雑賀衆になります。
何といっても雑賀衆と言えば鉄砲ですが、他の集団が諜報や調略活動を得意としたのに対して雑賀衆は傭兵として有名で、織田信長を苦しめました。
創作物では鉄砲で敵の指揮官を射抜くスナイパー的に描かれることも多いですね。
信長と争ったのは本願寺の依頼があったためのようですが、独自勢力としての力は弱く、やはり大きな括りでは忍びの一つという表現が正確なのでしょう。
最終的にどの勢力につくかで内部分裂を起こし、秀吉の時代には歴史の舞台からその姿を消しています。
雑賀も甲賀と同じく賀の読み方は”が”ではなく”か”と読み、”さいか”と読むのが正解のようです。
根来衆(ねごろしゅう)
雑賀衆が出てくると根来衆がセットのように出てくるイメージですが、どうやら根来衆も紀伊を根城にしていた集団のようですね。
雑賀衆と同じように傭兵集団だったようですが、こちらは僧兵を中心として構成されていたようなので雑賀衆が土着の一族なのに対して、傭兵育成組織的な意味合いが強かったのかもしれません。
雑賀衆が消滅したのに対して根来は徳川家康配下の服部半蔵に近づくことにより一族は幕末まで残っているようですね。
軒猿(のきざる)
軒猿は越後の上杉家に仕えた忍びだと言われていますが、他の忍の集団に比べるとそれほど活躍したという記憶はありませんね。
上杉謙信や景勝が正々堂々としている感じで調略を好まない(あくまで僕のイメージです)せいか、やはりライバル武田家の対抗勢力として創作物などに登場するぐらいのイメージですね。