君は高見山大五郎を知っているか?

 鎖国状態の大相撲界でたった一人で戦っていたアメリカ人

現在の相撲界は先日の稀勢の里の横綱昇進まで横綱三人ともがモンゴル出身であり、大相撲がもはや日本の国技であるということを忘れてしまわせるような状態でしたが、それでも幕内力士や十両に所属する関取の出身地を見ると、本当に国際色豊かになったことを感じさせられます。

先日横綱四人を取り上げた記事の最後で振り返りましたが、現在の大相撲の国際化を語る上で忘れてはいけない人物がいます。それが元関脇”ジェシー”こと高見山大五郎です。

今でこそエジプト(大砂嵐)やブラジル出身(魁聖)の力士が存在するなど、かつてのハワイやモンゴル人ブームを超えるほど大相撲界は国際色豊かになり、外国人力士そのものが珍しくなりましたが、約40年も前、高見山が一人で大相撲の伝統や奇異の目で見られることと闘うことにより、大相撲は世界へ発信することにも成功し、彼に続く追従者を迎えることができたのです。

今回は現在の相撲しかしらない若い人たちのために、当時の子供たちはみんな大好きだった「高見山」をご紹介したいと思います。


外国人力士のパイオニアであり子供たちのアイドル

まず、高見山と言えば

にばーい(二倍) にばーい(二倍)

このCMです。

きっと僕のような40代以上の人たちには完全に音として残っていますね(笑)

久しぶりに動画で見ると内容はこんなんだったっけ?とは思いましたが、”にばーい にばーい”は全く記憶のとおりでしたね(笑)。

あと、物まね番組でも特徴的な声を真似されることが非常に多かったですよね。何と言っても在日韓国人や朝鮮人の人たちを除けば、相撲界初の外国人でしたから、キャラクターも立っていたこともあるとはいえ、世間は空前の高見山フィーバーでした。10数年前のボブ・サップフィーバーに近かったですね。

この人気の理由は、日本人しかいない学校に突然外国人がやってきたといった感覚に近かったでしょうか。物珍しさ、分かりやすい風貌(もみあげ&しゃがれ声)、古い伝統と戦う真面目なキャラクター、このあたりが挙げられますかね。

あと、昔は外で野球とかサッカーをする以外はテレビぐらいしか娯楽がなかったのも大きかったですね。

当時の相撲界

僕もこの記事では偉そうに語っていますが、高見山ぐらいになると小学校低学年ぐらいなはずだったので新聞などもませて読んでたりはしましたが、かなりうろ覚えです。

記憶だけで振り返ってみると、僕が小学校時代を迎えていた昭和60年代前後というのは北の湖の晩年期でしたね。輪島とか貴乃花というのは僕の記憶とは少しズレます。(いずれもプロレスラー&横綱のほうの貴乃花のパパというイメージ)

相撲を見始めてt、横綱として最初に意識したのが北の湖、次いで隆の里、そしてあの大横綱となる千代の富士などが活躍していたのが僕の少年時代でしたが、やっぱり分かりやすかったのが他の力士と比べても体も大きく独特の大きなモジャモジャのもみあげで分かりやすかったのが高見山だったわけです。

相撲はおっさんやジジイのスポーツと思われがちですが、当時も結局同じです。父親が見てるのでしょうがなく見ていることが多かったのですが、角界唯一の外国人というのは当時は相当のアイデンティティでしたね。

そしてハワイアンブームの火付け役に

これはうろ覚えでしかないわけですが、高見山は力士としての力量は平幕どまりだったような気がします。体は他の力士に比べると大きかったのですが、小錦ほどその体格を生かし切れているわけでもなくただデカいだけだったので大関になるチャンスは多少ありましたが結局は大成することなく現役を終えます。

しかしながら彼の功績はここから始まります。それがハワイアンブームです。メジャーリーグでは野茂英雄がメジャーリーグに渡ることによりイチローや松井などのスターの渡米を誘発しましたが、相撲界も同じことが起こります。それがハワイ出身力士の台頭です。

彼の活躍に刺激を受けたせいかはわかりませんが、彼に続く力士として小錦が台頭してくるわけです。その後も曙や武蔵丸などが入門し高見山がなしえなかった横綱や大関の地位につくことにより外国人力士という存在も当たり前のものとして認知されるわけです。

ただ彼らの活躍も高見山引退から少しの時間が必要でしたね。

東関親方としての功績

高見山は力士を引退後は東関(あずまぜき)親方となり弟子の育成にあたります。その中から初の外国人横綱となる曙が生まれるわけですが、東関部屋からは他に高見盛などの力士を輩出します。彼の優秀だった点は曙という自分を超える力士を育てたこともあるでしょうが、現役時代と違い自分が表に出ることなく、完全に裏方として徹していたことでしょうか。

前回の記事でもとりあげましたが知らないうちに定年退職していたということは、当時の人気を考えれば信じられないことなんです。言うなればイチローが選手として引退後どこかのチームの監督になり、そこから退いたもののマスコミはほとんど報じなった、そういった状態でしょうか。このあたりはホントさびしいなぁと感じます。



現在の高見山

親方業も65歳定年制なので実は彼も2009年に相撲協会を定年退職してからある程度の年数を経過しています。下の写真は2012年頃の相撲協会の公式twitterの画像なのですが、すっかり年をとってしまいましたね。

この画像以外は特段情報がないのですが、現影時代のことを考えるとメディアはもう少し彼を取り上げてもらってもいいような気がしますし気になりますね。

すでに全盛時から30年も経過しており、僕ら世代以降ではその活躍を知る人も少なくなってきましたが、相撲界にとってはまさしく”黒船”だったことをいつまでも忘れてほしくはありません。

かつて同時代の相撲界をけん引した北の湖や千代の富士がすでに鬼籍に入ってしまっていますが、あざやかな昭和の相撲界を彩った役者の一人としていつまでも元気でいてほしいですね。